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ハイダ グワイとの出会い


ハイダ グワイとの出会い(Introduction)

島の名前
この島を、私たちはハイダグワイ島と呼ぶ。西洋では、クイーンシャロット島とも呼ばれている。1783年8月3日にジョージ ディクソン船長が海洋交易が目的で、200トンの帆船に乗ってやってきた。この船の名前が、「the Queen Charlotte号」であった。彼の船と女王陛下に捧げる意味でこのような名前でこの島は呼ばれるようになったらしい。公式な最初の寄港は、1774年6月6日にやってきたペレス(Juan Perez)であると言われている。しかし、これより200年前の1566年に船が着いたという話、さらに1640年9月5日にマセット湾(Myhassetと記録されている)に入ったとの記録もある。しかし、これらの記録については異論もあり決着はついていない。以上より、ハイダの歴史は西洋の公式記録からは1774年に始まるとされる。アメリカ合衆国独立の2年前である。

以上の経緯にもかかわらず、私たちはハイダ族に敬意を表し、あえて「ハイダ族の島」、「Haida Gwaii」とこの島を呼ぶことにする。ハイダに残る地名は、詩的に、歌謡として、また様々な伝承のなかで口伝えされてきた。文字で記録され始めたのは上記の年代であったということに過ぎない。ハイダの文化、歴史はハイダ族の血に営々と引き継がれていることが、今回の訪問で明らかになった。

参考(wikipedia より引用):ハイダ族の歴史を尊重し、植民地的な名称であるクイーンシャーロット諸島の代替として1980年代初期に作られた造語が「ハイダ・グワイ」と言う名称である。
「ハイダ」は「我々」という意味だけではなく「人々」と言う意味であり、「ハイダ・グワイ」は「人々の島」という意味である。2009年12月11日に、ブリティッシュコロンビア州政府は2010年中頃にクイーンシャーロット諸島を公式的に「ハイダ・グワイ」に改名する法律を発表。2010年6月3日に法律は可決され改名が決定された。この改名はカナダの各層政府及び国際機関でも認知された。「世界の果ての島々」を意味する旧名である「ハアダラ・グワイ(Xaadala Gwayee、Xhaaidlagha Gwaayaai)」もまだ使用されている。

島の特徴
ほぼ北緯52度から54度、西経131度から133度に位置しており、総面積は約10,180平方キロメートルで、日本の岐阜県(約10,621平方キロメートル)よりやや狭い程度、四国の半分くらいの総面積に相当する。標高がもっとも高いMount Moresbyの山頂は海抜1,164mである。全島併せての人口は約3,800人と言われる。日本海流、黒潮が流れ込んでいるため、島周辺の海水は温かく、上空にはハワイからの風が入るため気候は温暖で、冬でも雪が降ることは少ないという。東北の大震災と津波で海に流出した品々が漂着し、ニュースになった。漁業で使われるガラス製の丸い浮きは装飾品として家に飾られ、またお土産品にもなっていた。収納庫に入ったハーレーダヴィドソンが漂着したのは有名である。一つの心温まるエピソードもある。コーディネーターのケタ(Keta Kosman) が、私たちが宿泊した「Sea Raven Motel」に付属する「Ocean View Restaurant」に勤めるローレライ嬢から聴いた話を伝えてきた。6年前にレストラン前の入り江の浜辺で1本のボトルを拾った。その中にはノートがはいっており、当時13歳の日本少女の電話番号が書いてあった。千葉の局番であった。2年間文通したが、今は途絶えた。この少女はいまは成長しているであろう。この少女はだれか、ご存知の方があれば連絡願いたい。このエピソードは、千葉沖を流れる日本海流がハイダにつながっている証拠として紹介しました。
ハイダ グワイとの出会い_d0282609_6512758.png

島には温帯雨林が発達しており、雨量が大変多い。もう一つ、日本とつながる話を紹介しよう。この島の植生は、北米大陸のそれというよりは、極東太平洋の植生に近い。日本は極東太平洋上に位置している。ハイダの島全体を覆うのは、Cedar (ヒマラヤ杉)の大木であり、檜も育っている。黄金エゾマツ(Golden Spruce) が珍種として大切に保護されていた。Europian Red Cedar (赤杉)の巨木はカヌー用に利用される。切り倒したあと放置して乾燥させるが、シロアリはいないため問題ないとのことであった。適切に処理されたのちに製作されたカヌーは80年の耐久性があるという(Dick談)。

by fusus-21 | 2013-08-30 10:39 | サスティナブル ツーリズム