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古代福岡市のにぎわい

古代の福岡市は興味津々である。古墳時代の初期、今の城南区の北部に鳥飼部が住んでいた。鳥飼の名が今に続いている。その辺りは浅海で草香江という地名が今も残る。その西には田部郷があった。今の小田部である。その南東には毘伊郷があり、今も樋井川という名の川が流れている。東油山地域である。西油山には能解郷があった。このあたりについてはあとで詳述するが大陸からの搬送品が集まり市が開かれていたという。その西には額田郷、その南には平群郷が西に、曽我郷が東にあった。その後方は背振山地である。

平群郷には、糸島の前原町の平原古墳より古い王墓として知られる、吉武・高木遺跡がある。このように早良区と城南区は、古代から、古墳時代につながる多くの史跡に恵まれた地域である。これを知るために城南歴史探訪の講座を受講したが、これほど面白い地域とは知らずに過ごしてきたことが分かった。福岡大学桃崎教授は考古学の研究者で膨大な資料に基づいて講義される。素人には難しいところもあるが、それなりに理解できるところもあり、興味津々になってきたところである。

大陸からの荷が祖原として今も地名が残る場所に降ろされ、それが野芥(能解郷)のあたりに集まってくる。これを巡って各地から人があつまる。さぞかしにぎわいがあったであろう。今は静かな住宅地である。このあたりに大陸からの鐵??が集まり、それを求めて各地から人が集まったということである。それだけではない。馬がこの辺りで飼育され、増殖に貢献したという。まさに鉄の剣と馬という武器が製造され、生産された古代の国を支える中枢部であった可能性がある。戦前、八幡がそうであったように古代の八幡製鉄所がここにあった可能性がありそうだ。八幡の燃料(エネルギー)は筑豊の石炭であったが、古代では油山の薪であったらしい。馬についても、おそらくつがいの馬が大陸から巧妙に運ばれ、この地で増やされた。馬具は鉄から作られた。職人は大陸からやってきた人という訳である。それらしき人の古墳も見られる。宮若市にある竹原古墳には、馬が舟で運ばれている装飾壁画が残っている。福岡市とその近郊は古代の先端技術地域であったらしい。

人は出雲からも来た。樋井川の下流、田島というところに「京の隈古墳」と言われる前方後「方」墳があった。後円墳とは明らかに違う特徴あるもので出雲系であるという。ここの出雲から、古い時代に入植したという証拠があるわけである。出雲も鉄が欲しかった。出雲といえば、大国主が奴奈川姫に求婚したという神話がある。出雲は古くから西は鉄を求めて能解郷まで、東はヒスイを求めて奴奈川姫がいたという糸魚川まで進出していたことになる。このような活動的な人々がいて、地域の繁栄を支えたのであろう。出雲は筑紫ほど地の利に恵まれていなかった。しかし、人を育てて繁栄を築くことに専念したのかもしれない。またそれなりに、そうなる理由も考えられる。これについて考察したい。
by fusus-21 | 2013-09-21 21:57 | 地域(北部九州の古代)