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卑弥呼の祭り(花の邪馬台国まつり)・・・毎年ゴールデンウィーク明けの第二土曜日と日曜日

甘木市で開催される卑弥呼祭が間もなく開催予定である。甘木市は邪馬台国に比定されている有力な地域にある。多分、一番有力ではないかと思われる。前述の長沼名誉教授の説では八女付近であるが、筑後川を境に隣接しており、たとえ外れたとしても、吉野ヶ里同様に邪馬台連合国の一つであろう。邪馬台国が甘木にあったとするのは安本美典氏の説であり、この二人の学者の説は非常に似たものである。

いずれの著書も、神話や伝説は歴史としての価値が有る。伝説から歴史へと移るのがどの国の歴史も同じである。文化がまだ幼稚な時代には、語り合われた説話は歴史以上でも以下でもないと述べられている。この意味から、卑弥呼を論じ、邪馬台国を語っている。古事記に見られる第1巻(上つ巻)の神話は、九州の出来事を語っており、続く神武天皇の物語は九州から東遷した強力な王権の説話であるとしている。そしてこの巻は応神天皇の九州から畿内への凱旋で終わっている。神功皇后が我が子大鞆別を伴っての凱旋といったほうがいいかもしれない。下つ巻は仁徳天皇から聖徳太子(推古天皇)時代で区切られている。これ以降は、日本書紀が歴史を語っている。

聖徳太子が現れるまでは、武力が優勢な時代で、大陸から九州(博多)に輸入された鉄斧を武器に作り変え、馬を増殖させて騎馬軍団を養成し、畿内に侵攻した歴史であった。聖徳太子が「和をもって尊し」と説いて以来、日本は和の国として国際的にも認知され始めたのであろう。

この後、天智天皇(中大兄皇子)と天武天皇が現れ、徐々に日本が統一されてゆく。これまでは九州が歴史の中心に位置していた。

私の推察:邪馬壹国(八女倭国:やめいっこく)が、邪馬台国(八女大倭国:やめたいこく)に変化した。そして甘木や吉野ヶ里付近の国は邪馬台国と連合していた。

中国の郭先生(日本語の教授で日本の歴史に詳しい)の話を聞きに行ったが、倭を「わ」と読むのはどうしてか。少なくとも中国では「倭」は「い」としか読まない。卑弥呼はひみこ(日巫女)のことではなかろうか。太陽(日)を神として祈る巫女ではないか。神からの教えを伝える巫女であろう。私もこれに賛同したかった。

長沼先生(安本先生も)はアマテラスが卑弥呼であると言われている。これが天武の頃には伝承として伝えられていた。口伝である。アイヌのユーカラのように口から口へと伝えられていたのではないか。そして漢字が伝わり、古事記に神話として書き表されたものであるかもしれない。



by fusus-21 | 2016-05-03 17:51 | 地域(北部九州の古代)