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カテゴリ:サスティナブル ツーリズム( 94 )

くまモン頑張れ!福岡市役所前にて・・・第2弾

昨日天神行ったら、今日から復興割受付ということで、テントが市役所前に出ており、特産品の販売などをやっていた。九州全域に適用されるらしいが、複雑すぎてよくわからなかった。一応、益城町のお茶を買ったが、そのほかいくつかの特産品しかなかった。多分準備中だったのかもしれない。今日から本格的に始まるのかな。出かけたら、立ち寄ってみよう。天神の市役所前広場だった。
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by fusus-21 | 2016-09-09 21:11 | サスティナブル ツーリズム

いにしえの旅人

万葉集に登場する旅人は柿本人麿、山部赤人らであるが、彼らは類まれな歌の才能により、時の天皇に同行し、旅の記録を担っていたらしい。
もう少し新しい時代になると西行がいる。北面の武士として弓の達人であった彼は、また極めて高い歌の才能に恵まれていた。北面の武士として皇居を守る傍、天皇の主宰する歌会に招かれ、その才能を遺憾なく発揮していた。しかし、生来多感で、繊細な彼は当時の貴族の間で主流となっていた技巧を凝らす、型にはまった歌に辟易していた。心の底から自然わきいづる歌を得意とし、極度に技巧を嫌っていた。技巧を重んじる時流を牛耳る歌人でさえ、この天才の自然に湧き出る歌には一目置かざるを得なかったという。時の権力者、崇徳天皇が西行の歌風をこよなく気に入っていたからである。しかし、その天皇が保元の乱で失脚し、失意の西行は北面の武士から、検非違使にまで引き上げられることさえ辞退し、仏門に入る。このような西行の行動には、謎が多く、真相は突き止めようもないが、いずれにせよ世の乱れを儚んだ末のことであろうことは推察がつく。ひたすら、歌の道を深めるべく旅に出るのである。これほど純粋な動機はそう見当たらない。
そのような行動に共感したのか、松尾芭蕉であり、彼も漂泊の旅に出る。その一部分は西行の旅程と一致するのである。
近代では、若山牧水と石川啄木が、事情は違うけれども漂泊の旅を経験することになる。啄木は、自分の意思というより、生活に困窮し、職を求めてのさすらいであった。故郷を追われ、旅に逃れるのである。

これら歌人の見た光景を追う旅もまた楽しであろう。

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by fusus-21 | 2016-08-29 19:53 | サスティナブル ツーリズム

72歳の修楽(学)旅行

72歳は還暦から数えて12歳、小学校6年生に相当する。定年退職から1年でもあり何かしないと暇をつぶせない。ソファーに座っていると、いつの間にか眠り、ボケ老人そのものに見える。そこで、今年3月から幾つかの小旅行に参加、生きがいのある生活を取り戻す試みを始めた。旅行先の歴史や史跡の調査などをやれば、結構ボケ防止には役立つ。その矢先に、癌の転移が見つかり、予定が実施できるかは危ぶまれたが、医学の急激な進歩に助けられ、無事実行することができた。まずはすでに掲載した小学校の同級生との四国(伊予)旅行、続いて高校の同級生との鎌倉・江ノ島旅行(4月2〜3日)。後者は実際に室蘭栄高校の10泊11日という超長い修学旅行の訪問先に設定されたプランである。このほか日光、京都、奈良が日程には含まれていた。その中の鎌倉と江ノ島を選んで建てられた計画である。

さて、今回は知利別小学校の同期会と栄高校のクラス会が室蘭で行われるということで参加。その帰りに、大沼公園、仙台、松島を訪ねることにした。このプランは蘭東中学の5泊6日の修学旅行の立ち寄り先から設定したものである。これではもったいないと、芭蕉ラインを訪ねる旅を加えた。合計10泊11日の日程とした。追加コースは、立石寺(山寺)、天童温泉、最上川舟下り、酒田、鶴岡である。あまりに強硬すぎるかと(天童の観光案内所でどこを旅したのかを聞かれ、プランを話したら、大胆なプランですなーと感心された)羽黒山参拝は中止して鶴岡の城址をめぐり、博物館や藤沢周平記念館を回って仙台に戻った。羽黒山は午後から豪雨になったので幸運にもこれから逃れることができ、万事うまくいったということである。松島では芭蕉ラインの遊覧船で塩釜まで移動、山寺の1000余段の階段を奥の院まで登り、芭蕉の「しずかさや 岩にしみ入る 蝉の声」の雰囲気より、絞れるほどの汗で病後の体には大変であった。そして最上川、「五月雨を あつめて早し 最上川」の雰囲気に浸った。船頭さん曰く、「夏に来る人はバカ・・・涼しくはないんだよー」。事実、暑かった。乗った船はやはり芭蕉ライン遊覧船、10kmの川下りであるが芭蕉はもっと長距離を船で下った。平泉に逃れる途中の義経は最上川を遡ったのである。大変な旅であったろう。さらにこの川は「おしん」が母と別れて船出する地でもある。そのシーンに使われた石ころだらけの岸が見える横を船で通った。酒田と鶴岡は庄内平野の中心で、それぞれ商業の街、武士の街である。今回の旅では食文化を楽しむことができた。

いずれにせよ、楽しく愉快に旅をして、生きてゆく力をもらった。奥の細道の旅は楽しい思い出を残してくれた。

次の修学旅行は同級生が津軽三味線のリサイタルをやるというニセコ、10月の旅を目指す。新しい目標の前に、10月初旬に予定されている造影CTの検査結果をクリアすることである。肺転移のX線照射後の観察と腹部に転移がないかを詳細に検査される。これを突破しての話である。試練は続く。

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by fusus-21 | 2016-08-03 14:21 | サスティナブル ツーリズム

3月29日 八幡浜を離れ、フェリーで臼杵の町へ

四国の旅もそろそろ最終日、四国西端の八幡浜から臼杵の町へ向かう。フェリーで海峡を渡るが、そのフェリーの名前がこだわりの「さくら丸」、行きの新幹線が「さくら」であるからとことんこだわる。
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八幡浜港のランドマークとなりそうな山である。その麓にフェリー乗り場がある。
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乗船した船の名前が「さくら丸」。かなり大きな船だ。これならそれほど揺れずに海峡を渡れる。素っ気ない船出である。汽笛もドラの音もないまま出航した。2時間少々の船中であるが、ここで幕の内弁当を食べ、エネルギー補給。臼杵の散策に備える。
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海峡(豊後水道)を航行する。右が四国、左に九州の岬が霞んでいる。
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ほどなく臼杵港に入ってきた。九州は豊後の国の町である。山には、さくらが咲き、春かすみの中にピンク色がほんのりと見える。
フェリー著船場からタクシーに乗った。観光コースがわからないので、聞いているうちに、3月はキャンペーン月間で、タクシーで2時間、メータでは8千円くらいのコースが3000円に割り引かれるという。市からの補助金で臼杵を売り込むのだという。何があるのかわからないので直ちにそれに切り替え、タクシー観光、疲れた最終日にはラッキーこの上ない。ガイド付きで市内を巡る。石仏と武家屋敷がメインという。

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臼杵は神社・仏閣が多い。信仰の町である。古い佇まいによく似合う。
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武家屋敷の立派な壁が囲み、門が家ごとに誇らしく並んでいる。内子の町屋とは少しちがう雰囲気の町である。
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その町の路地を散策。人とおりも少なく、ゆったりと時間が流れる。
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門は石段の向こうにあり、屋敷を衛るかのようだ。かなり身分の高い武士の屋敷であろう。

武家屋敷を離れ、有名な石仏に詣でる。磨崖仏と言われ、岩に直接のみを入れて製作された仏様だ。主となる大日如来は地震で首が落ち、現在修復中で見れないがその分拝観料も値引きされているという。とにかく、臼杵に来たら磨崖仏と拝観することにした。
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入り口には石塔が見えてきた。
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その奥に行くと、数多くの仏像が崖の祠に彫ってある。磨崖仏だ。
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猫も、身じろぎもせずに拝んでいるようだ。体に触れても動こうとしない。
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参道を進むにつれて、次々に仏が現れる。霊験厳かな仏たちを拝みながら進む。要所要所に線香の売り場があり、それを買って火を灯しながら無病息災を願う。
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仏に備えられたように椿の花が並んでいる。
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これが大日如来坐像。修復中で参拝できないと聞いていたが、今日から修復なって参拝可能になったと、入り口の券売り場で聞いた。まさか今日から拝顔可能とは!ラッキーこの上ない、何かご利益がありそうな出来事である。感涙にむせぶ出来事でもある。
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参拝を終えて再び町へ向かう。街中では聖徳太子を祀る塔が見られた。
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臼杵の城が街中にある。高台から臼杵の市街を見下ろす。今回の旅では、臼杵については立ち寄ったというだけで、細かい下調べはしていなかった。あくまでもオプションツアであったが、またゆっくりと尋ねてみたいという気にさせるしっとりと落ち着いた町であった。また来る日があることを祈念して、JRで大分まで、大分から特急ソニックに乗り換えて福岡へ・・。



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by fusus-21 | 2016-04-12 15:38 | サスティナブル ツーリズム

3月29日・・・四国の旅もいよいよ最終日

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内子では夜明けととも起き、町内散歩に出かける。今日も良い天気が約束されているようだ。「くら」を出て南方向へ。
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このような家にはレトロな車がよく似合う。
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桜もかなり開花してきた。
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西に小路を入ると内子座がある。昔の繁栄を偲ぶたたずまいを見せている。
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長々と続く白壁が印象的な路地である。
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独特の飾りが家を囲んでいる。幾つかの家で見られた。この辺で宿に戻り、朝飯だ!
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おかずが9品と飯に味噌汁、普段はお目にかかれない豪華な膳が嬉しい。

朝食後は荷物を預けて、昨夕訪れた町並み保存地区へ。

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高倉健さんと寅さんに会える活動写真館、朝日館まえ。なぜか、丹下左膳になりたがる人がいるようだ。
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金毘羅街道の表示がある。お遍路さんはこの道を通って、金毘羅様に参るのであろう。
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早速、町の人が現れて立ち話し。左官さんの誇りの白壁が並ぶ町について話が弾んでいるようだ。
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花に水やりしているおじいさんの嬉しそうな顔が印象的。そうしていると昔女学校に通ったおばあちゃんが現れ、昔学んだ英語の話「abcd・・・・・xyz」と読み上げて、嬉しそうな笑顔。
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朝の散歩は色々な人との出会いを作り出す。
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内子町の出会いに感謝して、お稲荷様に参る。何かいいことありそうなと、お狐様がこちらを見つめている。
そろそろ、八幡浜に向かう列車の時間が近づいた。
駅に向かうとしよう。
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内子駅から、ローカル線で八幡浜へ。車窓から、大洲城が見えた。肱川を天然の堀にした難攻の城である。

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車窓の風景を楽しみながら、線路は八幡浜へ続く・・・。

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by fusus-21 | 2016-04-10 10:56 | サスティナブル ツーリズム

3月28日 内子宿に着く・・・夕方の街をぶらり

トンネルを抜けて内子に入る。大洲から予讃線を内子線に乗り換えて内子の町へ。ここが今宵の宿場である。町家別荘「こころ」の主人に連れられて民宿・町屋別荘の別館、「蔵」に案内された。ここは借切りで、1日、1グループのみが一夜の宿を借りることになる。2階から、坪庭を見下ろす。正面に見えるのは風呂で、檜で出来た昔ながらの日本風の浴槽である。
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とりあえず荷を置き、町内散策。
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まず目に付いたのは発酵食品の店、「森文醸造株式会社」。昔懐かしい、酢卵や食べる味噌を作っている。全て化学薬品無添加の体に良い製品のみを作って、売っている。古いおかめの面が軒下にかかっている。なぜか水戸黄門になれるような写真用の板が立っている。
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次に目に付いたのは軒下から下がった乾燥とうもろこし。これを竿から外し、お金を玄関左側のお金入れに落とし込む。筒になっていて、お金は座敷の中に転がり込むようになっている。
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これはたわし屋。俺こそ本物のたわしを作っているという変なおじさんがいて、やはり自作を販売しているのだ。なぜかたわしを買うと、この町は蠟燭の町ではない、原料の木蝋を作っているだけだと町の繁栄の歴史を長々と説明してくれる。A3用紙に図入りで木蝋の作り方を説明したコピー用紙をくれる。「内子の町並みに蠟燭は全く関係ありません。」と太字で大きく書いてある。内子では、昔、内子座での芝居興行や相撲興行があったのだよとも説明があった。いずれにせよ、変なおじさんであることは間違いない。
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白壁の町家が長く連なっており、この道は金毘羅様へのご遍路道でもある。ご遍路道100選となっているようだ。
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内子の町はこれとは直角に走っており、今宵の宿「こころ」もこの通りにある。ここを南に20分ぐらい歩くとJR内子駅である。
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寝室はこのような部屋(下の写真)を使うのだが、廊下を隔てて大広間があり(上の写真)、広いのでグループで泊まる場合にはここも寝室にできる。ゆっくりと眠って、明日は早朝の内子探索である。果たして何が待つやら・・・・。



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by fusus-21 | 2016-04-09 10:08 | サスティナブル ツーリズム

3月28日:四国の旅特別編・・・松山城と湯築城

河野氏の開いた湯築城は道後温泉の裏山である。この山頂には展望台があり、松山市が見渡せる。直下が道後温泉界隈で、この林立したビルのなかに宿伯した目立たないがルナパークホテルがある。ここの食事はなかなかで鯛のあら煮は自慢の品らしい。
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道後温泉本館にて記念撮影。
湯築城には街路と区切って外堀があり、その内側に内堀と土手が築かれている。水路には睡蓮などの水草が群生している。
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山に登ると椿や桜があり、花見になると山が揺れるように歌声が聞こえたものだが、最近では焼肉のタレの匂いがすごく、近隣からの苦情が出るため、花見の場所取りに規制が敷かれたと近所のおじさんが話してくれた。50年前には焼肉もなかったので匂いの心配はなかったが、よって歌う歌声の騒音は問題であったはずだ。しかし、そのような規制がない時代が懐かしいと感じるのは私だけであろうか。古き良き時代の風物になってしまった。実は、この山から夜桜に酔って歌う山を揺るがすような声を聞きたくてやってきたのだが、それは遥かなる響きとして心に残る響きとなってしまった。
山には椿が多くあり、花を散らししていた。桜は全山を彩るのであろうが、今はその兆しを示しているにすぎない、寒い春の日であった。
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湯築城は河野氏の城跡という。元寇で功績ある武将である。

山を下りて、伊予電鉄で勝山城(松山城の別名)に向かう。湯築城から眺めた見事な山城である。
急な階段であるので、旅先の疲れを考慮してケーブルカーを使う。建物の入り口には坊ちゃんファミリーが勢ぞろいしていた。
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ここから勝山城天守閣直下までケーブルカーで進む。
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ケーブルカーの隣にはリフトが運行している。大きな荷物を持った私たちはそれには乗れない。
下車して天守閣のある広場まではかなりの歩きであるが、あの石段を登った若き日と違い、この程度でもかなりきつい。疲れた体を美しく開花した陽光桜が慰めてくれる。
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ここで一休みして、城壁に沿って天守広場を目指す。
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体験した甲冑を着けてこの道を登るのであるから古の武士の体力を思う。甲冑だけでなく、あの重い刀や槍を携えて登るのは大変だろうと実感出来る。その代わりに、私は15kgぐらいの荷物を負荷に登った。こんな姿をして、重い荷物を下げて登っているものは他にいない。さぞかし変な旅人と思われたであろう。いよいろ目指す天守閣が近づいてきた。
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ケーブル降車場からしばらく城壁に沿って登り、やっと天守広場に出た。
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天守広場からは松山市が見下ろせる。春霞の中に三津浜、古三津が眺められ、遠く万葉の額田王の歌を思い出す。
「にぎたづに 船乗りせむと 月待てば・・・・・」しかし、今はその地がどこなのかはっきりとはしない。道後温泉の付近まで海が来ていたという説もあるらしい。道後温泉周辺の商店街に古の道、にぎたづの道が真直ぐ走っていた。この道をしばらく歩いたがそれらしき風情はなかった。
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やはり、あの霞の向こうの山の裾ににぎたづがあったことにしようと、街のはずれに霞んで見える山の向こうにある海を眺めることしばし・・・。「・・・潮もかないぬ いまは漕ぎいでな」

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by fusus-21 | 2016-04-08 11:39 | サスティナブル ツーリズム

3月28日:四国の旅3日目・・・四国から九州へ(松山から大洲を経て内子へ)

四国も3日目、最後の宿泊地は白壁の町・内子である。チェックアウトの後、伊予電鉄の道後温泉駅へ。ここには、坊っちゃん電車というか坊っちゃん列車というかおもちゃのような電車が展示してある、と思っていた。ところが翌日、この電車はそこにはなかった。なんと、展示車両ではなく、1時間に1回、軌道上を走っているのである。昨日記念写真を撮った場所に電車がいない!?市街地を走りに行ってしまったのだ。これからは珍道中、湯築城に登り、伊予電鉄で松山城を目指す。その後、タクシーを使って三津浜へ。そこで昼食をと思っていたが、三津浜駅(JR)周辺は食堂どころか、トイレさえも整備されていないような辺鄙な駅で、どこを巡ればいいのかわからない有様。即、諦めて、JRで松山駅に戻ろうと、到着した列車に飛び乗ったところ同じホームに逆向きの列車が入り、松山駅とは逆向きに走ることになった。慌てて、次の駅で列車を間違いましたと運転手に告げたところ、三津浜で乗るはずだった松山駅がすぐこの駅に入るという。隣のホームに走り、無事松山駅に到着。結局、無賃で松山駅に着き、ことなきを得た。薩摩守ただのりであったが、ワンマンカーの運転手に伝えての無賃乗車であるし、時間の無駄だけで、利益も得ていないので許してもらおう。

松山駅からは、すでに購入済みのJR切符で、予讃線の海岸周りの鈍行列車を楽しむ。乗り込む前にホームにあった、立ち食いうどんを食べ腹ごしらえ、通学列車らしい列車に乗り込んだ。始発から2〜3駅は満席であったが、すぐにガラガラのローカル列車となり、ちんたらちんたらと車窓からののどかな風景を楽しみながら大洲に向かう。


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車窓からの景色はのどかである。桜の向こうに、菜の花の向こうに春の海がうらら、うらら。
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海に沿って甍が並ぶ予讃線独特の風景。広大な原野。
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海に急傾斜で落ちる段々畑に菜の花。そして、桜の大木。残念ながら桜には1週間早い。
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それでも咲き始めた幾本かも目に入った。
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やがて、予讃線は断崖のトンネルを抜けて内陸部に入ってくる。もうすぐ、大洲、肱川の広大な河原が見え始める。

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単線のため上り降りがすれ違うのを待ち合わせる駅がある。昔は15分以上の待ち合わせも珍しくなかったが、最近は長い待ち合わせは無くなった。しかし、一箇所だけトイレ停車があった。その駅には地蔵人形が迎えてくれる。

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大洲駅で乗り換え、内子に向かう。大洲駅には昔、おはなはんの銅像があったのだが、今は撤去され、何の変哲もない駅前になってしまっている。大洲からは幾つかのトンネルをくぐり、いよいよ内子の町に入って行く。
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内子の駅には、大洲から連絡したので町家民宿「こころ(COCORO)」の大西さんが迎えに出てくれ、車で民宿へ。

今朝、松山では湯築城から松山城を訪ねた。これについては別枠を設けたい。ここでは、予讃線伊予海岸沿線の旅について記述した。いよいよ最終日は、内子から八幡浜を経て、臼杵さらに福岡への旅になる。この日と福岡での翌朝の城内巡りが、この旅のエピローグとなる。

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by fusus-21 | 2016-04-07 17:07 | サスティナブル ツーリズム

3月27日:四国の旅2日目・・・伯方島から松山・道後温泉へ

伯方島の夜明けを眺め、かぎろい立つ晴天を確認したのち、宿から尾浦港に送ってもらい、そこから宮窪港へ向かうフェリーに乗船した。
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能島沖ではうず潮が海底から湧く、現象も見られた。
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フェリーは一路、大島宮窪港の村上水軍博物館を目指す。島々の間から、しまなみ海道を形成する吊橋が見られる。
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宮窪には村上姓が多かった。港から15分くらい歩くと村上水軍博物館に着く。
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水軍博物館では甲冑なども展示されているが、やはり昨日の大山祇神社で見た後は見劣りする。ここでは、むしろ甲冑を身に付けてその重さなどを体験するのがいいであろう。
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玄関には村上水軍の操った小舟が陳列されている。この小舟が元寇に際して、博多湾に勢ぞろいして、元の大軍に立ち向かったと思うと感慨深い。甲冑体験はボランティアの方が助けてくれて、なんとか身に付けることができる。10数キロの甲冑を着け、戦った兵士の体力を実感する。景姫になりきった人もいる。鶴姫の甲冑も大山祇神社に陳列されていたが、藍色で腰のくびれた女性特有のスタイルを連想できるものであった。そのほかメタボのおじさん用と思しきものも陳列されていた。その対照が面白く、その時代には総じてスリム体型が多かったとわかった。
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博物館で甲冑体験をしたのち、タクシーに乗り、下田水港へ。来島海峡のうず潮体験へ。
あいにく、潮が止まっており(満潮から干潮へ変わる時間)、うず潮はほとんど見られなかった。約50分の遊覧であった。来島付近の造船業や来島を船から眺めるに止まった。
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下田水港から亀山バス停に向かい、そこから急行バスで松山道後温泉へ、高い峠道を越えて奥道後をへて今宵の宿、ルナパークホテルへ。

松山市内などから2名の同級生を含めて5名で会食。楽しい旅のひとときであった。道後温泉はごった返しており、雰囲気を味わうなど出来そうもなかった。どこの地も中国や韓国の観光客であふれており、50年前のゆったりしたくつろぎなど期待できそうにもない。明日以降の内子に期待したい。

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正面は観光客でごった返す道後温泉本館も裏に回ると見事な佇まいを見せている。風呂は芋を洗うようで興ざめである。せっかく来たので烏の行水をして、すぐに河野氏の湯築城へ。
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桜も2分咲き程度か。四国は暖かく寒暖の差が少ないためか桜は4月以降になりそうとのこと。城内のこの木変な木を見て、すごいねー!桜は福岡城内を期待することにしよう。
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湯築城は花見の全盛期は、夜桜見で酔っ払いの歌声が山全体を揺さぶる。しかし最近は、焼肉のタレの匂いが一面に広がり、花見の場所取りなどの規制が考えられているとのこと。やはり50年前の感動は、今や昔の夢であった。



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by fusus-21 | 2016-04-06 19:40 | サスティナブル ツーリズム

3月26日:室蘭市立知利別小学校6年3組卒業60年後の修学(楽)旅行

3月26日福岡から福山を経てしまなみ海道へ。新幹線「さくら」号にて一路福山へ。
福山からはしまなみ特急バスにて大山祇神社へ向かう。
この地は、大山祇神社の日本総本山である。裏山には霊験厳かな岩山がそびえている。御神体である。
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入り口にそびえる巨木にも神の存在を感じる。
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村上水軍の守り神であるが、宝物殿には鎌倉武士の尊敬を集めた神社にふさわしく、源頼朝、源義経などの甲冑や弁慶の薙刀、北条時宗の大刀などが奉納されている。源義経のものは八艘飛びの際に身につけたものと伝わっている。頼朝が身につけたものと同様、国宝に指定されている。そのほかメタボの将軍もいたらしく、いかにもその体型を想像できるものなど多彩であった。まさに源平合戦、元寇の立役者たちの夢の跡が漂っている。

この境内にある造船に関する展示場。大きなスクリュウが目印である。
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この巨大スクリュウは近隣の造船所で建造された船舶のスクリュウである。このあたりから今治にかけて今は造船業が盛んである。水軍の昔から船舶建造はこの地のお家芸といえる。

大山祇神社の境内で牡蠣の鉄板焼きが食べれた。名人らしいおじいさんが自信満々で進めてくれるので味見になった。確かにうまい。プリプリに太って、大三島の牡蠣は逸品であることがわかった。
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大山祇神社をあとに、しまなみ海道は海の道、大きな吊り橋を通って伯方島へ、バスは急ぐ。

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伯方島では、民宿うずしお荘の迎えの車でこの夜の宿へ。
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民宿の背後は瀬戸内海のないだ海が迫っている。夕日が落ちて行き、向かいの山が赤く染まっている。
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今宵の宿、民宿うず潮荘のたたづまい。経営者は村上さんという、村上水軍と同姓である。この島には村上姓がとても多い。
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夕食は主人が一本釣りで仕留めたメバルの煮付け、水槽で泳いでいたものをそのまま煮付けているため、プリプリしてとても美味かった。忘れられない味である。

翌日は6時に目覚め、日の出を待った。
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日の出前の赤く焼けた空、前日の夕日とは違った色調に染まっている。




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by fusus-21 | 2016-04-04 20:11 | サスティナブル ツーリズム