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九州チアリーディングフェスティバル

12月のチアリーディング九州フェスティバルでは、大学の応援団の演舞が行われる予定です。今回は試行で、3分間程度の演舞を予定しています。詳細は現在検討中ですが、今後、何らかの形で日本特有の応援活動である、応援団の伝統を九州の地で末永く残せるよう考えます。急なことになりますので、数校の参加で行い、今後継続が可能かなどを探ります。ご期待ください。
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by fusus-21 | 2013-10-31 20:20 | チアリーディング (FJCA)

倶利伽羅峠の激しい戦い・・・源氏も平氏も敗残兵が多勢でた

私の祖父の自慢は、日露海戦に水兵として参加し、東郷平八郎元帥の指揮下でバルチック艦隊を破ったという話であった。この自慢話は、子供の頃、一緒に朝の散歩をする際によく聴かされた。また、東郷元帥や乗組員が色紙に名前を書いた額も見せられた。また弟が有名人で、いろいろな本に出ているという話であった。私も、それなりに聞いてはいたが、小学生の身では、それがどの程度の意味を持つかなどは理解の及ぶところではなかった。大学を卒業したあとで、ふとその話を思い出し、祖父の出生の地、あるいは一族の出身地を訪れた。石川県の山中のある地を訪ねたのである。このような私的な話をなぜ書くのかというと、それがたまたま木曾義仲と倶利伽羅峠に関わる話がその地で出たからである。嘘かほんとかは別として、地域に関わる伝説的な話に遭遇したというわけである。

村に何とかたどり着いたが、家々に誰もおらず、玄関の鍵は開いているのだが呼びかけても返事がない、そういう村だった。いくつかの建家は、雪の重みでか、つぶれたりして無惨な姿も見えた。昼間はだれも家にいないのだ。1本道を辿って、延々と村奥まで歩くとようやく一人の老婆にであった。老婆は、輝く光の中で(5月の連休の最中であったため、光の中に若葉が目にしみるほどの輝きであった)、むしろの上に乾燥したさや豆を置き、瓶のようなものでたたき、中の実を出すような仕事をしていた。平安か鎌倉時代の風情であった。年齢を問いかけると、その老婆は「歳?そんなものは覚えていない」と答えた。「歳や街の番地はしょっちゅう変わるので、覚えていても仕方ない。覚えなくても生きて行ける。」ということであった。最もだ。今の世の中はおかしい。なぜ番地をしょっちゅう変えるのか、昔ながらの土地名で問題ないと思うのだが。

さて、歳も覚えていないと言うその方に、聞いても仕方ないかと思ったが、祖父の弟はそこに長く留まっていた(祖父はサラリーマンを選び、二度と郷里には戻らなかった)ので、ひょっとしたらと聞いてみた。すると、生き生きとした表情になり、「自分の家のうらがその家だよ。何十年も前に金沢に引っ越して先生になっているがね。」とのことであった。まだ、仏壇の間だけはしっかりと残されていた(道場と言うだけあって、家一軒が仏間、仏壇であった。道場は朽ち果てたか、雪で潰されたかであろう。すでに跡形もなく、広場になっていた。)。金沢に引っ越したのは、祖父の弟の息子の話だった。この老婆の幼友達とのことであった。

それから話は進み、家が道場と言われる「冠婚葬祭を司る」身分であったことなどを聞かされ、それからが面白かった。その地は、倶利伽羅峠の大戦で敗残兵が流れた道にあるとのこと、つまり平安の昔、大勢の平氏や源氏の落人が、追手を逃れて奥へ奥へと移動した道に沿っているとのことであった。さらに南下すると白川郷などに行き着くのであろう。平氏の落人と思いきや、倶利伽羅峠の戦いは激戦で、源氏も平氏もどちらからも敗残兵がでたとのことを聞かされた。彼らは、自らの一門名を隠すので誰が平氏か源氏かなども分からないらしい。従って、飛騨の山奥には戦いを逃れた平氏や源氏の郎党が隠れ住みつくことになった。うちの祖先もその一人かもしれないと思えた。それこそ、当てにもならない話だが、甲斐源氏の郎党として、木曾義仲の出兵に従い、倶利伽藍峠で離散したと言う話は聞いたことがあるが、どこまで信憑性があるのか分からない。その村の庄屋であったことは確かめられたが、それ以上のことは推測の域を出ないのである。ただそのような村に行き、古老からの話を聞き、隠れて住むというのはいかに大変なことか、年ごとに降る雪は家を押しつぶすほどであり、それに耐えて春を祝うが、厳しい雨に家を流されたこともあったであろう。その風雪に耐えて、日露戦争に参戦、さらに生きて返ったと言うことは事実である。祖父は故郷にもどらず、その弟の家族も金沢に去り、その地での血は途絶えたことになる。雪深い信濃に落ちて、そこで育った義仲も、そのような苦労はしたのであろうと考えると、松尾芭蕉は、木曽殿のこのような境遇に同情を覚えたのかもしれない。
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by fusus-21 | 2013-10-30 14:46 | サスティナブル ツーリズム

木曽義仲・・・西の戦場へ

木曾義仲の名を聴くと、どうしても高校時代のピテカン先生の日本史を思い出す。巴御前とともに出征し、巴は義仲の奥方だと聴いていた。その勇猛ぶりは男の上を行くとのことであった。
ところが、Wikipediaを読むと、義仲の妾であると書いてある。これはどうしたことか。また、困ってしまう。いよいよ義仲の話が分からなくなった。芭蕉はなぜ義仲をしたい、義仲の墓の隣に眠りたいと言ったのだろうか。遺言だそうである。
「義仲の墓所は、室町時代に没地近くに開かれた朝日山義仲寺(滋賀県大津市馬場)にある。義仲寺は江戸時代の俳人・松尾芭蕉の墓があることでも有名な寺である。芭蕉はかねがね義仲の生涯に思いを寄せ、生前から義仲の隣に葬って欲しいと言っていた。」(Wikipediaより引用)

旭将軍 木曾義仲は、頼朝や義経の従兄弟であるらしい。幼いときから木曽で育ち、頼朝や義経のように京で育った過去をもたない。生粋の木曽ッ子である。以仁王の令旨に従い挙兵、俱利伽藍峠の激戦で平氏を破って上京した。『平家物語』では義仲は京で松殿基房の娘(藤原伊子とされる)を妻としており、『源平盛衰記』では京で基房の娘を妻とした他に、義仲が巴に向かって信濃の妻に再び会えないのが心残りだとも言っているとある。ピテカン(大井)先生は、巴は義仲の妻と言われた(高校の授業だから、妾とはいわない方が良い?)が、下線部から見ると信濃の妻に会いたいと言っている。妻は巴とは別人であろう。

義仲の容貌
「眉目形はきよげにて美男なりけれども、堅固の田舎人にて、あさましく頑なにおかしかりけり」「色白う眉目は好い男にて有りけれども立ち居振る舞いの無骨さ、言いたる詞続きの頑ななる事限りなし」(『源平盛衰記』)
どうやら色白の良い男であったことが推察される。この辺りから、話が始まるのか、いやここでも全くの謎である。調査にはしばらく時間がかかりそうだ.
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by fusus-21 | 2013-10-29 20:44 | サスティナブル ツーリズム

松尾芭蕉の旅

松尾芭蕉は世界的に知られる俳人である。生涯旅をしたが、多くの弟子にも恵まれ、西行のような漂泊の旅と言えるものではなさそうである。風流人であることは間違いないのだが。ウィキペディアはありがたいことに、多くの情報が集積されている。怪しいものもあるかもしれないので、慎重な読み方が必要であるが、データーベースとしてはきわめてありがたい存在と思う。昔、授業で習わなかったことがデータとして集積しており、これをもとにいろいろと考えを巡らすことができる。松尾芭蕉についても、これをもとにまず調査し、詳細は「奥の細道」の原本(写真で撮影したものと、それから翻訳したもののセットで販売されたものが手元にある)を読むことで確かめながら進む。西行についてはそのような出版がないので、研究者の書いた「ドキュメント風小説?」に頼らざるをえない。松尾芭蕉については、すごい情報量で、読むだけでも大変である。何とかまとめてみたい。

松尾芭蕉について、ウィキペディアでまず目がとまったのは彼の本名とその若き頃の仕事である。
伊賀国(現在の三重県伊賀市)で生まれたが、その詳しい月日は伝わっていない。出生地には、赤坂(現在の伊賀市上野赤坂町)説と柘植(現在の伊賀市柘植)説の2説がある。松尾 芭蕉(まつお ばしょう、寛永21年(1644年) - 元禄7年10月12日(1694年11月28日)は、江戸時代前期の俳諧師。現在の三重県伊賀市出身。幼名は金作。通称は甚七郎、甚四郎。名は忠右衛門宗房。俳号としては初め実名宗房を、次いで桃青、芭蕉(はせを)と改めた。北村季吟門下とある。

何が目に留まったかというと、幼名を金作といい、通称は甚七郎とか、甚四郎で、本名は忠右衛門宗房で、俳名としては当初、本名を名乗り、次いで桃青、芭蕉(はせお)と改めたという部分である。現代風には「ばしょう」といわれるが、江戸時代には「はせお」と呼ばれていた。これは、私はすでに知っていて、江戸に石碑があり、それに「はせお」という署名があるからである。無類の蒟蒻好きで、蒟蒻に関する俳句を詠んでいる。そのわけがすこし分かった。若き日に、伊賀国上野の侍大将・藤堂新七郎良清の嗣子・主計良忠(俳号は蝉吟)に仕えたが、その仕事は厨房役か料理人だったらしい。ことのほか、料理には通じていたわけが分かった。蒟蒻談議については、あとで詳細を述べる予定であるが、私が山口怜子氏と最初にお会いした頃に、彼女の手作りのピンク色の蒟蒻をごちそうになった。そのとき、彼女が松尾芭蕉の話をし、そのなかでピンク色を出すにはどのようにすれば良いか、また芭蕉がこのピンク色の蒟蒻をことのほか好きだったと聴かされたからである。

謎の一つが、芭蕉の死後にある。

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

を詠んだ。この句が事実上最後の俳諧となるが、病の床で芭蕉は推敲し「なほかけ廻る夢心」や「枯野を廻るゆめ心」とすべきかと思案した。10日には遺書を書いた。そして12日申の刻(午前4時頃)、松尾芭蕉は息を引き取った。
13日、遺骸は陸路で近江義仲寺に運ばれ、翌日には遺言に従って木曾義仲の墓の隣に葬られた。焼香に駆けつけた門人は80名、300余名が会葬に来たという。なぜ、木曾義仲にこだわったのかは大きな謎である。まだ、解答を得ていない。木曽義仲についても調べる必要がでてきた。

追記:私は「奥の細道」と習ったが、現在の教科書では「おくの細道」となっているらしい。???
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by fusus-21 | 2013-10-29 11:07 | サスティナブル ツーリズム

西行は鎌倉を経て平泉を訪ねた・・・冬を耐え、奥州の桜に出会う

北面の武士として紫宸殿を護った若き日、出家して漂白の旅を続け、まさに旅に生き、旅に死んだ西行は全盛期の平家を知り、そして鎌倉で源頼朝に会い、さらに足を北に伸ばし、藤原秀衡から丁重にもてなされ、その館の広さや豪奢さに今更ながら驚かされたことであろう。

それにしても、平家の全盛期から滅亡、平氏を倒した源頼朝に会い、その後しばらくして、訪ねた藤原秀衡らの一族が、頼朝に滅ぼされることを知るのだが(西行は1190年3月23日に73歳で亡くなるが、奥州藤原氏は1189年頼朝に滅ぼされる)。このような栄枯盛衰、天下の激動を自分の一生という短い間に見てしまうとは、どれほどの心境であったかは想像を越えたものであろう。

ききもせず たわしね山の桜花 吉野のほかにかかるべしとは

たわしね山とは平泉の束稲山のことである。雪を耐え、そして春の桜花を平泉で眺めた。最高に幸せなときであったろと思える。

それにしても、なぜ人は北を目指すのかがわからない。不思議なことである。漂白の旅は北へ、どのような旅が西を目指すのか? 旅は不思議なものである。考えてみると、アフリカのエチオピア付近から始まった人類の歩みも、あるときは東を目指し、そして北に向かった。

追記:こよなく櫻を愛でた西行の歌(同じ歌だが、読みが違う。花はここでは桜花と考えてよい。桜は桜でも山桜である。)

ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ (山家集)

ねかはくは はなのもとにて 春しなん そのきさらきの 望月の比 (続古今和歌集)

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by fusus-21 | 2013-10-28 21:37 | サスティナブル ツーリズム

日本の食・・・今、海外で流行という日本風

カナダのバンクーバーで今流行っているものに「ジャパドッグ」がある。これは何か?ホットドッグの一種ではあるが、日本風というところか。ホットドッグのソースが、大根おろしに醤油という仕掛けである。その他に、肉どんぶりや照り焼きというのも、日本語がそのまま英語になっているが、Japadogは、ここ二年の間に流行っているものである。売り切れが多く、なかなか買えないので味が検証できていない。)
日本食は世界から注目の的である。世界に目を向けて日本食で打って出よう。ジャパドッグにまねて、次のメニュウを考えた。
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これは熊本産の和牛のフィレ肉(商品棚には単に和牛と書いてあり、購入するとラベルに産地が印刷される。:別府橋の「バリうま29精肉店」)を焼き、それに大根おろしに醤油のソースで仕上げたもの(単純そのもの)。ただし、良質の和牛を使い、偽装しないことが大切。偽装すれば信用をなくすのみである。丸いのは添えている焼椎茸(日本料理、旨味の素)。
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これは、どんぶりは丼でも、鯛丼(鮮魚を使おう!)、これに八女の高級煎茶をかけて鯛茶漬けに変身させる。鯛茶漬けは、Facebookに掲載しよう。米は宮城の登米(とめ)米(良い米の証拠に粒だちが良い)、魚は西新「魚西鮮魚店」の鯛の刺身を前の日にたれに浸けて準備したもの。いかに活きが良いかは、翌日といえどもこの透明感、身が引き締まっていることから分かる。この魚屋の魚は玄海など近隣ものであるため、展示棚の上で跳ねているからすごい。「活きています」という表示は一切ない。見れば分かるのである。多くの店は(バンクーバーやシアトルも同じ)、氷に浸けて展示しているものが多い。魚西には氷等はほとんどない。仕入れたその日に売り切れる。売り切れるように仕入れるということであろう。夕方ゆくと安くなるので、チャンス!地産地消を徹底!
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by fusus-21 | 2013-10-27 21:42 | ココノイエプロジェクト(食と健康)

佐藤義清(のりきよ)・・・西行法師

加藤義清は北面の武士、弓をひいては右に出るものはまれ、並びなき詩才に恵まれ、生まれた素地のままの詩人であり、歌人でもあった。彼の歌は、規定に沿ったものではなく、心の赴くままに、少しの技巧も装飾も加えぬ無我の境地から、自然に生まれるかのようであった。
この詩に、後世の人は多くの感動を与えられた。その一人に木村善之というという人がいた。西行の詩に共感し彼の生涯を研究した。そして一冊の本を残した。その名も「西行」、佐藤義清の出家後の名である。出版社は.東京市麹町の第一書房、昭和10年1月15日初版である。定価は1円50銭であった。

木村氏は、「西行を一介の「漂白の詩人」として彼の生涯を私の心のままうつし出して、いたわしい閑寂の歌僧を偲ぶことにしました」と、序に書いている。

この本を参考に、西行の旅を紹介していこう。漂白の詩人といえば、松尾芭蕉がいる(芭蕉の場合、漂白とはすこし違うような気もする。伊賀の生まれで忍者説もあるので???)。この人も西行を意識していたのではないかと思われるので、この二人の旅を追うことがよいかもしれない。さらに、もう一人を選べば、石川啄木であろうか。漂泊の旅、戦うための旅、調査研究の旅、これらは観光旅行とは異なる旅の姿であり、サスティナブルツーリズムでは、これらの観光とは違う旅の中で、旅の本質を見いだす努力を目指したい。
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by fusus-21 | 2013-10-27 21:30 | サスティナブル ツーリズム

ベルリオーズの幻想・・・音楽の裏に隠されたもの(2)

以前のこのブログに、「ベルリオーズの幻想・・・音楽の裏に隠されたもの」という表題で、ある人が推理した幻想交響曲第三楽章から第四楽章へ移行部分の謎を書いたことがある。
先日、がらくた屋さんで,カビの生えたディスクを数枚見つけた。いくら痛んでいても、内容までは痛んでいないので価値のありそうな盤を選んで購入した。その中に、ベルリオーズの幻想交響曲があった。シャルル ミュンシュ指揮、ボストン交響楽団の演奏によるものである。ミュンシュの幻想と言われるぐらいの十八番であるが、一般的にはパリ管弦楽団を振ったものが決定盤と言われており、私も持ち合わせているが、最高であるとの評価は人と変わらない。音楽の素養が有る無しにかかわらず、最高はやはり最高と分かるものである。Yamagishiさんもこれを決定盤とされているが、次の様な評価も掲載されている。”RCA。1962年 ボストン交響楽団録音。パリ管のはやや踏み外し的であるが、こちらは、古典的名盤、とも言える。下の「ロメオとジュリエット」とカップリングの輸入盤2枚組で持っていたが、1999年に日本ビクターが「xrcd2」という驚異的な音質のリマスター盤を発売したのを入手した。これは、3トラックのオリジナル・テープをBMGの倉庫から「発見」してそこからリマスターしたものである”
がらくた屋で発掘した盤が上のどちらかは不明であるが、先日の「音楽の裏に隠されたもの」とは違う説明がカバーにあったので紹介しておく。ベルリーズの楽譜に書かれている説明としてある。

第一楽章 「夢・情熱」・・・最初、若い音楽家は、いつも恋人と逢引きする前に感じる不安な心理状態、捉えどころのないあこがれ、暗いメランコリ、あてのない喜びを思い出す。それから彼は恋人との灼けるような情熱、恍惚とした苦しみ、それが落ちついて感情が柔らぎ,宗教的な慰めとなってゆく過程を思い出す。
第二楽章 「舞踏会。ヴァルス・アレグロ・ノン・トロッポ。八分の三拍子.イ長調」・・・舞踏会の短かなお祭り騒ぎのまっただなかに、彼は再び恋人の姿を見いだす。
第三楽章 「野の情景。アダージオ。八分の六拍子。ヘ長調。」・・・夏の夕,若い音楽家は、野原で代わる代わる笛を呼び交す二人の牧童を聴く。この牧童の二重奏、木々のこずえの静かな囁き、最近明らかになった希望へのなにがしかの理由が、すべて一つになって彼の心を稀な静けさをもって満たす。しかし、彼の恋人はここへも姿をあらわす。
第四楽章 「刑場への行進。アレグロ・ノン・トロッポ。ト短調 四分の四拍子。」・・・若い音楽家は夢を見る。彼は恋人を殺し、死刑を宣告され、刑場へ引かれる。あるときは暗く荒々しく、あるときは厳粛で輝かしい行進曲が、この行列に伴奏される。最後に恋人を追想して固定観念が一瞬現れるが、死の斧の一撃がこれを断ち切る。
第五楽章 「魔女の祝日の夢。ラルゲットーアレグロ。八分の六拍子。ハ長調。」・・・若い音楽家は魔女の祝日に出席して、怖しい幽霊や魔法使いや怪物に囲まれていると思っている。化物たちは彼の葬式に立会っているのである。この世のものとも思われない音、うめき、笑い、叫びが応答する。恋人のメロディーが再び聴こえるが、もはや高貴なつましい性格はなく、つまらないグロテスクな舞曲の節になっている。彼女もまた魔女の祝宴にやって来たのだ。その到着が歓迎され、彼女も地獄の狂宴に加わる。

さて、問題の第三楽章から第四楽章へのつなぎ、これについてベルリオーズは触れておらず、多くの謎が含まれており、それが議論になっているのである。
彼の恋人はここにも現れる、との記述が第三楽章の終末に書かれている。このときに「殺される」という推察であった。彼女の鼓動が消えいるように、音が鳴っている・・・。

追記:がらくた屋さんから入手したディスクは多分、RCA・1962年録音盤と思われる。His Master's Voice の Hi-Fidelity 録音である。怪しい気もするが、録音日は書いていない。もし、1962年ものなら、Yamagishi氏の評価は以下のよう。
「パリ管のはやや踏み外し的であるが、こちらは、古典的名盤、とも言える。
下の「ロメオとジュリエット」とカップリングの輸入盤2枚組で持っていたが、1999年に日本ビクターが「xrcd2」という驚異的な音質のリマスター盤を発売したのを入手した。これは、3トラックのオリジナル・テープをBMGの倉庫から「発見」してそこからリマスターしたものである。」
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by fusus-21 | 2013-10-26 08:06 | AltecとWEの伝説・・原音追求への道

山口怜子「ga・楽多アート」展・・・銀座で開催

104-0061 東京都中央区銀座5-6-2 「ギャラリーグレイス」にて、11月14(木)〜19日(火)
開催は11時〜18時、最終日17時まで

今回は、日本の「ダリ」と称された 友人の女流画家・平岡常子女史とのコラボ作品も出展されるそうです。秋の一日を楽しくお過ごしください。

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by fusus-21 | 2013-10-26 01:54 | ココノイエプロジェクト(食と健康)

チアリーディング世界選手権大会日本代表男女混成チーム壮行会の開催

1.企画名
チアリーディング世界選手権大会日本代表男女混成チーム壮行会

2.開催日時
11月10日(日)
<午前の部>
11:00~12:00 日本代表演技披露会 ※一般の方も入場可。
<午後の部>
13:00~15:00 日本代表による技術指導会 ※正加盟・準加盟団体のみ参加可。

3.主催
九州チアリーディング連盟

4.会場
福岡工業大学 FITアリーナ
住所:福岡県福岡市東区和白東3-30-1

5.スケジュール
10:30~     一般開場(予定)
11:00~12:00 日本代表壮行会・寄付金贈呈式
12:00~13:00 会場セッティング
13:00~14:50 日本代表技術指導会

6.技術指導会

7.入場料について
午前の部のみ:500円
午前&午後の部:1,000円
※参加費の一部を代表チームに寄付

8.撮影について
午前の部(演技披露会):不可
午後の部(技術指導会):チーム関係者(監督・コーチ・選手)はOK

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by fusus-21 | 2013-10-25 11:47 | チアリーディング (FJCA)