FU-sus21のプロジェクト・活動紹介


by fusus-21

プロフィールを見る
画像一覧

カテゴリ

全体
ココノイエプロジェクト(食と健康)
Naoko Ellisのココノイエ
九重 しゃしん記
九重 食の道
九重 湯の道
チアリーディング (FJCA)
キッズチアリーダー教室
Aqua Green Project
サスティナブル ツーリズム
サスティナビリティ
地域(北部九州の古代)
和の文化
四季折々の風物・・・自然と親しみ生きる
AltecとWEの伝説・・原音追求への道
カメラ ルジェンド

検索

最新の記事

ブログサイトの変更
at 2016-09-30 23:58
ブログサイトの変更
at 2016-09-30 23:58
アフガンの川筋男・・・中村哲医師
at 2016-09-13 00:00
景行天皇行幸・・・熊襲を制圧..
at 2016-09-11 18:22
くまモン頑張れ!福岡市役所前..
at 2016-09-09 21:11

以前の記事

2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月

その他のジャンル

外部リンク

画像一覧

<   2016年 01月 ( 15 )   > この月の画像一覧

 青葉の笛・・・武将と笛 敦盛と信長の笛にまつわるエピソード

平敦盛は平安時代末期の武将で平清盛の甥にあたる。無官太夫と称された。源平合戦では、一の谷の戦いに敗れ、海上に逃れようとしたが、「敵に後ろを見せるとは卑怯なり。お戻りなされ。」と源氏の武将、熊谷直実に呼び止められ、取って返した。
組み敷かれて、甲をあげると直実の息子と同じ年齢の紅顔の美少年であったため、直実は躊躇し、名お名乗れと、問い助けようとしたが、「名乗らずとも良い。首を取れ、首を取ってから人に聞け。それにふさわしい敵であるぞ。」と言ったので、涙ながらに首をとった。のちに敦盛と判明し、熊谷直実は後悔を強めたという。

敦盛は笛の名手で、敦盛が所有した「小枝」あるいは「青葉」の笛という名笛を、直実は書状をつけて、屋島にいた敦盛の父、経盛に送った。いわゆる遺品である。この敦盛を偲んで、歌われた「一の谷の軍に敗れ 討たれし平家の公達哀れ 暁寒き 須磨の嵐に聞こえしは これか 青葉の笛」は有名である。

織田信長は、やはり名笛「乃可勢」(野風とも呼ばれる)を愛用していたが、彼が死を直前に歌った、また日頃から好んで歌っていた人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきかは幸若舞の『敦盛』の一節である。

武田信玄も敵陣を囲んで、攻めた際に、敵陣から流れる「一節切」と呼ばれる短い笛の音色(30cmぐらいの尺八か横笛と思われている)に惹かれて陣を出た際に鉄砲で銃撃され、致命的な負傷を負ったとされている。これも違った意味で武将と名笛のエピソードといえよう。

[PR]
by fusus-21 | 2016-01-31 13:17

バルチック艦隊との海戦・・・これも北九州、沖ノ島沖での出来事

元寇、バルチック艦隊との海戦、九州は歴史上重要な海戦の舞台となった。偶然かもしれないが、日露戦争でもバルト海を出港したバルチック艦隊と東郷元帥率いる日本海軍の艦隊とが沖ノ島沖で激突したのだ。まさに博多湾の北海上である。バルチック艦隊は多くが撃沈されたが、その死者はその後、宗像海岸に流れ着いたという。沖ノ島の海岸寄りに大島があり、そこの漁師、島民は、流れ着く死体を引き上げ手厚く葬ったという。そして、今は慰霊碑が立っている。
いつの時代も戦争は嫌なものである。東郷元帥は、高揚する日本国民の意識をあえて沈めるように、挨拶の中で「勝って兜の尾をしめよ」で締めくくったという。本当に戦争の怖さを知った人の言葉であろう。私の祖父の最大の誇りは、日露戦争で東郷元帥とともに戦ったことだと言っていた。朝の散歩、室蘭の知利別町、中島町、高砂町を見下ろす楽山(らくさん)の麓を毎朝散歩したが、口癖のようにいつも同じことを言っていた。祖父も、バルチック艦隊を目の前にして、さぞかし怖かったのであろう。幸いにして助かり、その孫に伝えたことは、「おじいさんは東郷元帥と共に戦ったことだ」と言ったが、それ以上の言葉はなかった。

言いたかったことは、戦争は勝つも負けるも被害者ということだろう。戦争はしてはいけない、これはいつの時代にも真実である。安倍内閣の軍事優先は気になるところである。自衛隊に戦争をさせてはいけない。災害でいつも活躍する自衛隊を見ていると、これこそ自衛隊の本質と思う。自衛隊は戦争をする部隊ではなく、災害からの自衛を行う平和部隊なのであると。人を殺したことはない、人命救助の自衛隊の誇りをこれからも守ってもらいたい。

天皇陛下のフィリピン訪問と慰霊のお言葉に含まれる平和への祈りである。フィリピン国民に多大の犠牲者が出たことを、日本人は決して忘れてはいけないと言われた。どんなんことがあっても、外国で戦ってはいけないのだと釘を刺されたのであろう。安倍ちゃんは肝に命ずべしである。

[PR]
by fusus-21 | 2016-01-30 23:27

正倉院の尺八

ウェブ上の検索情報によると正倉院に残された尺八は唐時代のもので、34.4cm、38.5cm、38.2cm、43.7cmの長さであるらしい。材料は真竹で、一番短いものは玉でできている。玉でできたものは、竹に似せて節まで彫刻されているよいう。また、吹き穴は表が5穴、裏が一穴で、今の尺八より1穴多い。
d0282609_21413809.jpg
3節切りであるが、玉のものも3節に彫刻されている。現在でも中国の尺八は表が5穴であり、当時の伝統を受け継いでいる。

私は、30cmくらいの長さの一節切と34cmくらいの2節切を持っているが、表4穴だと指が重なって非常に吹きにくい。この長さだと5穴が論理的にも吹きやすいということではなかろうかと思っている。その意味で、1尺3寸以下の長さでは、4穴の尺八よりは篠笛など横笛の方が吹奏しやすさにおいて適切ではないかと考えている。

[PR]
by fusus-21 | 2016-01-26 21:49

今日も寒い1日・・・油山もすっかり雪化粧

昨日は0度を割って、油山は谷から新雪を巻き上げていた。風が強く、また九州では珍しいパウダースノウであったからだ。一転して今日は2℃、雪もボタン雪に変わった。したがって、雪は木々に張り付いている。
d0282609_22193154.png
何れにしても風景としては寒々しい。この寒さは明日まで続き、そのあとは温暖な冬に変わるという。とにかく寒い中で、徳栄寺のスロープでは子供たちがそり遊びに熱中していた。もう少し大きくなるとスキーのスロープとして手頃な傾斜となる。少し狭いが、注意すれば可能だろう。
[PR]
by fusus-21 | 2016-01-25 22:25

昨年、西油山に移住して初の寒波・・・油山も雪化粧

この2年暖冬で雪が降らなかった。西油山も雪化粧はなかったが、ついに数十年ぶりという寒波がやってきた。
昨日はまだ氷点下にはならなかったが、油山はうっすらと雪の気配。
d0282609_12470850.jpg
そして今。日曜は雪、雪・・・。
d0282609_12480870.jpg
我が家の月見台も雪化粧。寒い1日で夜明けから氷点下、終日続けば久しぶりの1日真冬日となる。オリーブやトネリコの木が降り積もった雪に震えている。少し、光がさしたら徳栄寺に登り、陽の当たる福岡市内と能古島、志賀島を撮影したい。しかし、まだ風も強く、鉛色の雲も厚い。
d0282609_12483192.jpg
西油山は東側に山が迫っているため、日も月も昇ってすぐは遮られる。月の場合は、十分に高くなっても冴え渡った場合には月見にはなかなかよい。そのため、昨年増築して月見台とした。今は雪見台である。油山の雪景色が美しい。

光が差さず、写真にはならなかったが、丘の上までは出向き、写真を撮った。ウッすらと志賀島が見える。
d0282609_19254383.jpg

[PR]
by fusus-21 | 2016-01-24 12:51

元寇から日本を守ったもう一人の英雄と海賊(水軍)

追記:

蒙古襲来絵詞の河野家(ウィキペディアより)[編集]

蒙古襲来絵詞
河野通有供養塔

竹崎季長が描かせた『蒙古襲来絵詞』には、季長が負傷した通有を見舞った様子が描かれている。






以前に熊襲の末裔である菊地氏とその親族の竹崎氏について書いたが、もう一人忘れてはならない英雄がいた。伊予の御家人河野氏である。河野通有は来島水軍と考えられる水軍を率いて、大きな手柄を上げた。まず、水軍(海賊)の知識を活かして博多湾に乱杭を打ち、というより乱立させ、大きな軍船は入港できないようにした上で、強固な防塁も築いた。伊予の防塁は一段と強固であったらしい。元軍の襲来時には、かれはその防塁の前面に立ち指揮を振るった。また海岸線には乱杭をかい潜って小回りの効く小さな軍船を並べていたという。結局、元軍は博多湾には入れず、志賀島沖に停泊した。志賀島は細い砂嘴によって本土とつながっていて、大軍は簡単には上陸できない。予定通りそこに追い込んだということになる。そして、停泊中の大型の軍船に、小舟を操って襲いかかり、特に通有は、叔父が大きな負傷を負い、自らも負傷しながら切り込み、敵の司令官を生け捕りにしたという無類の豪傑であったらしい。その傷で、一族の叔父は亡くなった。

水軍とともに、何度にもわたって攻撃を繰り返し、敵軍を圧倒した。元の船は大型のため陸地には近寄れず、水軍の小舟は変幻自在に活躍した。松浦党も水軍を率いて参戦していたので、波状攻撃で夜襲をかけたらしい。少数で繰り返し繰り返し攻めてくるので、敵は無数のように見えたに違いない。司令官を失い、楚原や姪浜でも副将級が傷つき、さすがの元軍も戦意を失ったことが撤退の理由となったらしい。しかも台風まで来襲し、大きな船団にとっては不利が付きまとった。いずれにせよ、水軍の作戦はことごとく成功し、草原の王者も戦意喪失となって撤退の余儀なくを決断しなければならなかったと考えられる。

伊予の河野氏と村上水軍、とりわけ来島水軍の強さは群を抜いていたらしい。さすがの九州の強者も、防塁を背にして敵襲を待ち構えた河野氏の武勇には一目置いたらしく、敵も度肝を抜かれたであろう。河野通有の豪胆さは「河野の背後(後)築地」として後世に語り継がれることとなった。荒れ狂う瀬戸の大渦(来島海峡)を支配していた来島水軍にとっては博多湾などは凪の海程度でしかなかったであろう。いずれにせよ、この戦いぶりが国難を救ったといえよう。

[PR]
by fusus-21 | 2016-01-17 21:28

歌会始・・・天皇陛下による鎮魂の歌

今上陛下は一貫して戦争犠牲者への鎮魂の歌を詠まれている。
今年はパラオを訪問した際の思いを詠われた。病をおして海外へ出向かれる姿勢には心をうたれる。

戦ひに あまたの人の失せしとふ 島緑にて海に横たふ  (天皇陛下)

スペインの小さき町に響きわたる 人々の唱う復興の歌  (皇太子殿下)

皇太子さまは2013年にスペインの小さな町の小学校を訪れた際に、東北震災からの復興を願って作られた合唱曲「花は咲く」で迎えられた感動を詠われた。

ふるさとの復興願ひて語りあふ 若人たちのまなざしは澄む(皇太子妃殿下)

雅子さまは福島での交流の際の、若者の澄んだ眼差しに感動し、上の歌を読まれた。

今年の歌会始から上の三つを私なりに選んでここに挙げた。




[PR]
by fusus-21 | 2016-01-15 10:13

清水の横笛

清水の笛


東北新幹線の工事に伴い発掘された名取市の「清水遺跡」から九世紀初頭から中ごろのものとみられる竹製横笛が発見されました。(東北歴史資料館)・・・ウェブ上の情報
これは日本最古の横笛と考えられている。正倉院には外来の横笛が数本と尺八が残されている。尺八は現在の尺寸では1尺5寸、唐の時代の尺度では1尺8寸に対応するらしい。また表孔は5孔、裏孔は1孔で、現代の尺八より1孔多い。
d0282609_09251895.jpg


蝦夷の笛というのがあり、これは古い横笛をモデルにして製作された笛と聞く。同じ6孔の笛で、筒系が篠笛などよりかなり太い。上の笛の設計方針をもとに製作されたのかもしれない。

d0282609_16394728.jpg
大和笛で、北東北で古来より使われていた山岳笛と説明してあり、鎮魂の笛であるとされている。つまり死者の魂を呼び起こし、供養するために使われた笛とされている。


[PR]
by fusus-21 | 2016-01-12 09:50

そばシリーズ第3弾・・・蟹そばが旬

追加:本物のタラバ蟹を使った蟹そば、やはりうまい。蟹缶はYさんからのお歳暮。感謝!伸びないうちにと慌てて、ピンぼけ写真になったが、とりあえず掲載。
d0282609_12422827.png

牡蠣そば、九条葱そば、とくれば蟹そばがもう一つ欲しくなる。蟹はタラバかズワイ(越前かに)がいいが、とりあえずどこにでも売っている海外産蟹を使ってみよう。蟹を使うとやはりざるそばとなり、温かいそばとは合わせにくい。冬には向かないようだ。しかし、あえて挑戦するか。そばには鴨南蛮とか牡蠣そばのように温かいそばに向く具と蟹そばとかおろしそばのように冷たいそばに合う具がある。その意味で蟹は寒い冬には向かないような気がするが、越前ガニの旬は寒い時期なので、寒い時期に唯一冷たいそばの材料として使うことが許されるのかもしれない。とりあえず、蟹とおろしのぶっかけそばを計画しよう。今日の昼はまたそば!準備にかかろう。蕎麦湯も取ったのでつけておく。
d0282609_12175221.jpg

「調理終了」
まがい物の蟹肉を使って作った「蟹もどきそば」であるが、そばは本物の信州本十割そば(無塩)である。そばは4分ほど茹でて2分蒸すとあった。その通りに従った。実際食べる時には刻んだ海苔をかけて食べたのでさらに香りが良くなる。


あと白魚や鯛、鰊蕎麦など考えるときりがないので、とりあえずは3日連続で、そのあとは休みとしよう。そばばかりでもちょっと・・・。

[PR]
by fusus-21 | 2016-01-08 11:37

昼は熱い牡蠣そばで、寒い日を暖かく

「さらい」のレシピに従い牡蠣を出汁で下茹して生臭さを消し、盛り付けた。「さらい」には、わかめを具として添えてあったが、こちらは九条ネギで対応、さらに柚子を削って入れた。まあまあの結果であろうか。
d0282609_12030350.jpg

[PR]
by fusus-21 | 2016-01-07 12:05