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くまモン頑張れ!福岡市役所前にて

今日から3日間、福岡市役所前にて熊本県震災支援の催しがあり、早速訪問。研究室への手土産と孫へのプレゼントを買って、研究室へ。

孫へのプレゼントは「くまモンセンベイ」、大きな、1000円の一枚もので、チョコレートで形が整えてあるらしい。
帰って開けてみたら、つぶらな瞳が溶けて(右)崩れており、涙目になり、胴体も割れていた。なんとも痛ましい、この暑さでの障害である。帰る間に1時間ぐらい暑いところを経て帰ったので障害を受けたのであろう。冷蔵庫で冷やして固めようか、どうか苦慮している。とにかく試験的にやってみよう。明日から繰り出す人はこの辺りに注意して持ち帰って欲しい。少し崩れていなければ、孫は「かわいすぎて」食べれないかもしれないので、その辺りを考えてくれたのかも。センベイと考えずにチョコとして対応すべし。

くまモンがんばれ!泣くな くまモン!
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これから暑く(熱く)なる。被災した皆さんにも最新の注意を!とくまモンが呼びかけているのかもしれない。

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# by fusus-21 | 2016-06-03 17:27

任那の存在・・・倭の北岸狗邪韓国              史書にあるがままに歴史を追う

今日は朝から雨だ。晴耕雨読の熟語通り、任那日本府に目を通し、*いき一郎氏の中国正史の古代日本(葦書房)と岩波文庫の古事記を参照し、事実関係を確認しながら過ごしている。熱は下がったようであるが、身体中がいたい。運動不足の表れであろう。*上記の著書の良い点は和訳のほか原文を全文掲載している点である。原文がないと著者の偏見が読者に刷り込まれてしまう。原文があるとおかしいと思った時に、そこに目を通して確認できる。

大平裕氏の任那日本府の著書に史書にあるがままに歴史を読む重要性が説かれている。同感である。私が以前から感じていた、魏志倭人伝の謎(後漢書東夷伝もほぼ同じ)、「倭は・・・・・・・ ・・楽浪郡境は邪馬台国を去ること1万2千里で倭の西北界狗邪韓国を去ること7千余里である。・・・・・・」である。狗邪韓国は倭の一部であると読み取れる内容である。しかしどの歴史書にも狗邪韓国は倭に属しているという書き方をした教科書はない。大平氏の著書で初めてであった。この領域に任那があったのである。458年〜479年に在位した新羅王によって初めて倭府という言葉が使われ、のち日本書紀にも見られる。高句麗の広開土王碑文に「任那」の文字が刻まれている。韓国の歴史に任那はないらしい。しかし、広開土王、中国の歴史書は明確に書いている。史書は間違いだとするのは韓国の歴史家にも、日本の歴史家、研究者にも多い。いまこそ両国の歴史を再考すべきである。

古代日本人(倭人)は海峡を渡り、大陸で経済活動を盛んにやっていた。韓大陸の南部に拠点を置き、北部諸国の混乱を横目に、小船を操り、中国の大国に朝見し、着々とその地位を築いていった。海洋民族の特技をほしいままにし、海峡を渡り、黄海をまたいで行き来した。海を思いのまま動き回った倭の海賊(水軍)の航海術が日本の基礎を築いたといえよう。

任那の存在を深く知ることは、古代の国際人であった倭人の活躍の舞台がどのようにして展開され、それがどのように衰退し、以後の鎖国につながってゆくのかという歴史を直視することにつながるであろう。その意味で「知っていますか、任那日本府(倭府)」を読むことは日本建国の歴史を学ぶ観点から重要である。

任那の成立する頃には(57年)、倭(委)奴国王が後漢に朝見、光武帝より金印を賜った。この金印は志賀島で発見され国宝になっている。さらに107年に倭王の帥升が朝見したと、九州にあった国の大王が日本の開国に努力している史実が書かれている。これらが文字による日本歴史の夜明けとなる。そして196年、倭国の大乱を経て卑弥呼の共立となる。古代史上最も有名な女王で、247年に没するまで邪馬台国に君臨した。その後、倭国は再び乱れ、殺し合う戦乱が起こり、卑弥呼の宗女を擁立し、戦乱は治まった。しかし、朝見は途絶え倭国はおよそ100年の間、歴史から消えるのである。100年の戦乱は、日本列島はもとより、韓大陸まで巻き込んだ大戦争だったらしい。それゆえに記録はむしろ韓国に残っているのであろう。その状況が大平氏の著書に詳しい。この一部分は、古事記に記された神武東征にあるが、先の理由により数百年時間的にずれて記録されている。大平氏によれば、卑弥呼以後の出来事であるとのことである。


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# by fusus-21 | 2016-05-29 08:48 | 地域(北部九州の古代)

知っていますか、任那日本府・・・大平裕著          (古代朝鮮の歴史)

魏志倭人伝、後漢東夷伝、隋書、旧唐書、宋書、元史などに残された歴史と日本の古事記、日本書紀、万葉集、風土記などを付き合わせ学者の語る古代史と違う見方をしようと述べたが、古代韓国については歴史書を入手することが困難であった。そこで表記の著書をアマゾンで見かけ、購入した。

これは参考書としては素晴らしい内容であった。いいことに西暦と古代の日韓の出来事が詳細に記入された年表が巻末にある。嬉しくなった。この本と、榊原氏の著書、長沼先生の著書を読み比べると、今までにない日本史の原点が見えてきそうである。卑弥呼の倭国が、神武の倭国になり、崇神天皇の倭国から息長足姫天皇(神功皇后)の時代が270年から399年の間に存在した可能性が指摘されている。謎の4世紀が韓国の史実から解き明かされている。

日本書紀の編纂を命じた天武天皇が、天文学者・占星学者であったため、日本の国の始まりを最愛の草壁皇子の立太子礼があった天武10年を起点として1340年前に遡る2月11日を初国しらす天皇(神武天皇)の即位としたために矛盾が起こったとしている。ただ、天皇の数を増やすようなことはしてないので、天皇の在位年数などから実際の年代を推定できたとしている。もちろん、上記の中国史書などと照らし合せての推論であるから、著書の中で論理性はある。古事記や日本書紀を歴史書として価値を認めている。

神武天皇の即位は西暦250年、これに日向5代の在位50年を考えるとアマテラスの時代はおよそ200年頃からとなり、魏志倭人伝の卑弥呼の在位と重なるとしている。中国のガオ(郭)先生が卑弥呼は「日の巫女」を表すのではないか、つまりアマテラスではないのかとの考えとも一致する。

ポロトコタンに行った時、博物館の壁にアイヌ神話が描いてあり、アマテラスと「つきよみ」の神が描かれていた。ひょっとしたらアイヌは本土から追われて北海道に追い込まれたのではないかと感じた。そうでなければ同じ神話がアイヌ文化のもとにあることは考えにくいからである。戦いを好まぬ、したたかな縄文の民は、寒さにも耐えて生き延びてきたのかとも思えるのである。かつて日本列島に君臨していたのはアイヌ民族の祖先で、大陸から侵攻してきた弥生人に追い詰められたとも考えうる。彼らは朝鮮半島で鉄を掘り、稲を植え、馬を育てて戦力を高めた。

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# by fusus-21 | 2016-05-27 20:31 | 地域(北部九州の古代)

デジカメ時代が来て古いレンズの性能が容易にテストできる・・・昔はカメラを変えるたびにレンズを揃える必要があった

デジカメは3大メーカーが一眼レフタイプのカメラを製造し、その内容を競っているが、どれが優れているのかはよくわからない。その中でペンタックスが真面目なカメラを製作しているのはよく理解できる。初心者向けのカメラまでペンタプリズムを装着しているカメラ会社はほかにない。Canonもニコンもフラグシップ級にはペンタプリズムを使っているが、普及機ではミラーを使ったファインダーとなっている。手抜きをしないペンタックスの面目躍如というところである。

レンズについても、各メーカーにレンズ専門のメーカーというより、今は各社のレンズはレンズメーカーが⚪️⚪️ブランドとして作っており、各社オリジナルのレンズ製作をやっているところは少ないであろう。各カメラにレンズマウントアダプターを使えばレンズ性能を評価でき、オールドレンズの比較ができる。結果を評価すれば、各メーカーのレンズ作りの真面目度がわかる。私は、フィルム時代に多くのレンズを買い揃えたので、それが「がらくた入れ」に眠っている。最近のオートフォーカスのレンズが気に入らず、また煩雑なデジカメの操作に困惑しているが、とりあえずカタッパシから使ってみて写りを見たい。事前に状態をチェックしながら使うが、カビが出ていたり、絞りバネ粘っていたりなどは点検しておきたい。信頼おけるレンズはずさんな管理状況でもカビなど出ていないので、製作会社の信頼度はこの辺りでも評価できるかと思う。

ニコン D7000用
AF Nikkor  18~55mm F3.5~5.6 VR
Tokina AT-X 24~40mm F2.8 ・・・・・・ コーティング劣化か
フォクトレンダー  Ultron 40mm F2
AF Nikkor Micro 60mm F2.8
Tamron  Macro 90mm F2.5         Nikon F, Nikon FEなど用として購入
Ai Nikkor  85mm F1.8
Ai Nikkor 135mm F2.8
Ai Nikkor ED 180mm F2.8
Ai Nikkor ED 300mm F4

ペンタックス K7用(大部分はスクリュウマウント42であるからイオスでも使用可:ただしCanonでは接点付きのアダプターでなければピントが合ったときに表示が出ない。ペンタックスとニコンはレンズマウントに接点がなくとも合焦時に表示がでる。)

ペンタックス  18~55 F3.5~5.6
Super Takumar 20mm F4.5
Super Takumar 28mm F2.8
Super Takumar 35mm F3.5
SMC Pentax M Macro 50mm F4       Pentax ME用として購入
SMC Takumar 50mm F1.4
Auto Takumar 55mm F1.8          Pentax SP用として購入
Auto Takumar 105mm F2.8

Rikenon 28mm F2.8
Rikenon Macro 100mm F2.8
Tokina Macro 90mm F2.8          Pentax LX 用として購入

Lidith 30mm F3.5
Primotar 50mm F3.5             Pentax SP 用として購入
Domiplan 50mm F2.8
Trioplan 100mm F2.8

Westron 35mm Isco
Culminar 135mm F4.5        Shteinheil
TeleXenar 180mm F5.5       Schneider

Pentacon 29mm F2.8
Tessar 50mm F2.8       この部分は,Carl Zeiss Jena製スクリュウマウント
Pancolar 50mm F1.8
Biotar 58mm F2
Sonnar 135mm F4
Biometar 80mm f2.8    Pentacon 6用として購入(レンズ変換アダプターで使用)

Industar 50mm F3.5            ロシアンレンズ
3M-5A 500mm F8


Fujinon SW 28mm F3.5      Fujica ST801用として
EBC Fujinon 35mm F2.8
EBC Fujinon 55mm F2.2


Canon 5D用(以下のレンズは下の2機種でも利用できる)
EF 20~35L           
EF 28~70L
EF 35~350L

Canon 10D、 50D用
Distagon 25mm F2.8
Planar Macro 60mm F2.8   この群は、Yashica Contax RTS, ST用として購入
Sonar 85mm F2.8     
Sonar 135mm F2.8
Sonar 28~80mm
Sonar 80~200mm

Nikkor 24mm F2.8
Nikkor 28mm F3.5
Nikkor 35mm F2.8
Nikkor 50mm F2      初代 Nikon F用として(非AIマウント)・・新ニコンには使えない
Nikkor 105mm F2.5
Nikkor 135mm F3.5
Nikkor 200mm F4

FD 24mm          この群はCanon F1, Canon A1用として購入
FD 28mm
FD 35mm
FD 50mm
FD 85mm
FD100mm
FD135mm
FD 200mm

Zuiko 24mm         この群はOlympus OM1 OM2 用として
Zuiko 35mm F2
Zuiko 50mm F1.4
Zuiko 100mm F2.8
Zuiko Auto 85~250 F5

Hexanon 28mm F3.5     この群はKonica FTA用として購入
Hexanon 52mm F1.8
Hexanon 135mm F2.5
Tamron Zoom 80~250 F3.5

このほかにもガラクタ箱に多くのクラカメ用のレンズがあるが曇っていたり、マウントが合わなかったり、いろいろ条件が整わないものが多いので、とりあえず使わない。一般的にズームの性能は単焦点レンズより性能が低い。


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# by fusus-21 | 2016-05-27 13:27 | カメラ ルジェンド

肺癌のピンポイントX線照射治療、2ヶ月後のCT画像


5月23日は肺癌のピンポイントX線照射治療から約2ヶ月後の検診日であった。CTデータから転移肺癌(S字結腸癌の転移)の大きさを計測し、成長が止まったかどうかを判断するわけである。上が5月23日の画像、下が処置前の3月11日の画像である。黒い部分が右肺である。楕円形に見えるはずであるが心臓がかぶさり上側を隠している。
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矢印の先端にある白く角張った影が癌の影である。3月には11.99mmあったのが、本日の画像では9.02mmに減少していた。とりあえず順調である。成長は止まっており、しかも小さくなっている。他にもそれらしき影は見えないということで、まずは安心というところである。上の写真で癌の横の見えるぼやっとした薄い影が放射線のダメッジを受けている肺の一部分である。これから徐々にはっきりした影が薄れてゆき、やがてこの影も消えれば本当の成功となる。

これが消えずに、X線に耐性のある癌細胞が成長してくると最悪な結果ということになる。このような経過を約1年くらい見ながら日々を過ごす。CT検査は2ヶ月に1回、血液検査と併用して観察を続ける。済生会では毎月X線検査で見てゆく。CTはかんいてきなCTのほか造影剤を使っての精密な検査も行う。私にように腎臓が1つしか機能していない場合、造影剤はきやすく用いることはできないでのタイミングを計って造影剤を使うことになる。

手術との違いはこのように治療後の継続的な観察が必要なことである。後遺症が出ない限りは身体に負担の少ない療法と言える。手術は切り取ってすぐに結論が出るが、体への負担は大きい。

注)画像下の状況を放置すると余命は1年(肺での成長速度は速いという意味)とのことであった。しかし、成長を食い止めた今は、この状況だけはクリアできたということになろう。これからは早足で一定歩数以上歩くことと肺を鍛える運動を考えることである。良い写真を撮るために歩く、尺八で深い呼吸を訓練としてマスターするなどの努力をしたい。肺を鍛えるために吹き矢をしている人がいるという主治医の話もあった。いずれにせよこの考えは良いとのことであった。あとは十分な睡眠と食生活、生活習慣の健全性を継続させることを心がけたい。油断は禁物!

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# by fusus-21 | 2016-05-23 20:35 | ココノイエプロジェクト(食と健康)

食質の改善について・・・5月30日、11時から、イムズ8階ABSSにて

野草から作る酵素による食の改善についての講習会が開始されます。その説明会を5月30日、午前11時からイムズ8階 ABSSにて行います。それ以後の講習内容、フィールドワークなどの日程についても当日説明します。ふるってご参加いただければ幸甚です。

会場が取れず、二転、三転しましたがようやく決まりました。

食質を改善し、無病で健康な生活を持続することの大切さを身をもって体験しています。生活習慣病を予防するための知恵を学びましょう。

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# by fusus-21 | 2016-05-20 06:41 | ココノイエプロジェクト(食と健康)

行者ニンニクについて

北海道の友人から送っていただいた行者ニンニクを野草料理として調理するいくつかの方法を書いてみる。

単純な方法はそのまま味噌汁に入れて食すること。右上は細かく刻んだ茎をひき肉と炒めたものである。
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次に、ワイン醤油漬けにしたミジン切りの(腸に詰まらないように細かく切った)茎をチャーハンに入れて、調理した。癌患者でなければこれほど細かく刻む必要はない。大腸癌手術の後は、腸のつまりを低減するためにこのような配慮が必要になる。
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黒っぽい色の茎が、ワイン醤油漬けの行者ニンニクである。

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# by fusus-21 | 2016-05-15 18:34

食質の改善について・・・日程と内容が変更になりました

FU-sus21 NPOが協賛して食の質を改善するプログラムに取り組む。癌にかかってからは、それまで考えもしなかった体質改善に取り組む、そして情報提供することに努力している。周辺の癌友からの情報や研究者の意見を参考に野草から作る酵素の大切さ、サプリメントとしてのキトサンや「冬虫夏草」の効用、発酵食品を作ることとその効果を自身で確認しようと努力する毎日である。多くの友人が協力してくれ、情報交換をしながらいいと思えることは発信してゆく所存である。ただ、体質によって効果は異なるので、実施するときは自分で体調を感じながら注意深くやってほしい。
当初、説明会を5月20日と情宣しておりましたが、5月30日に変更となりました。また、内容も下記の通り、一部変更されています。
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5月30日にイムズの8階で上記の初級カリキュラムの説明会が開催される。

野草についての他に、以後の講演で野草料理についても講演を計画している。


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# by fusus-21 | 2016-05-15 18:04 | ココノイエプロジェクト(食と健康)

 日本の始まりを漢字で記述した中国正史の数々

三国志・魏志倭人伝は3世紀の晋の陳寿によってまとめられた倭国の状況を記述する正史である。後漢書と宋書のうち、5世紀にまとめられたものが范曄による後漢書、宋書,南斉書は6世紀頃に編修された。梁書、晋書は7世紀前半に完成した。さらに隋書は7世紀の日本の状況を詳細に伝えている。旧唐書は10世紀にまとまった。

これらの正史を付き合わせると、日本の始まりがかなり見えてくる(西暦50年くらいから西暦800年くらいまで)。特に宋書、隋書、旧唐書は価値が高そうである。後漢書には魏志倭人伝の情報をもとに、それ以降にわかった情報を加えたり修正を行っている。

委奴国から邪馬台国、さらに倭の5王、聖徳太子の遣隋使やその後の遣唐使について非常に詳細な記述があり、客観的に中国からみた日本が記録されているといえよう。中国から見ると日本は非常に大切な国であったようだ。インドから来た使者の方が遥かに遠い国から来ているのに、日本からの方が遠くから来たとしてより高く評価している。

日本の始まりを理解するには中国正史を上記の他に後の世に編纂された宋書(上記の宋書とは別の史書で新唐書というべきもの)、元史(元寇の経緯や元のフビライが日本についてどう考えていたかなどがわかる)などを読まなければならない。これらを付き合わせて、矛盾点や新しく加筆された点などを詳しく見て行けば歴史がさらに明確に描かれてゆく。原本を読み、変な先入観を持つ歴史家と違った目で歴史を見てゆく必要がある。

一方、日本には古事記や日本書記、万葉集、各地の風土記などが残されておりこれは伝承として、またそれを聞き及んでいた当時の人が歌に読み込んだりして作られており、大切な文化・歴史遺産であるとしなければならない。初めから事実でないとか、書き間違いなどと断定しては見誤ることになる。素直に読み解くことが大切で、後の世の研究者が言ったことを鵜呑みにしては矛盾が矛盾を生むことになりかねない。

今回榊原氏の講演会を聞いて、また著書を読んで、長沼氏と榊原氏の論議は類似点も多いが違う点も多々ある。いずれも優れた内容の力作である。榊原氏の著書、西海道歴史紀行を購入したので、これと長沼九大名誉教授の著書、邪馬台と太宰府の両著書を参考に日本開国から元寇までの歴史を探ってみたい。

倭奴(猪野)国王、卑弥呼、神武天皇、景行天皇、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、倭の五王と磐井、斉明天皇、天智天皇、天武天皇の時代が見えてくるかもしれない。まさに歴史紀行である。私の日本史の知識は、栄高校時代に大井先生から習った、元寇までで止まっている。転校によって、それ以降(応仁の乱以降)の歴史は習わぬままになってしまった。

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# by fusus-21 | 2016-05-14 23:43 | 地域(北部九州の古代)

榊原英夫氏による魏志倭人伝と邪馬台国を受講して

榊原講師の説によると、邪馬台国は春日市を中心として福岡市博多区南部にあったとされた。この辺りが弥生遺跡が日本全国でみても圧倒的に多いからだとしている。また奴国は伊都国から日向峠を越えて吉武・高木遺跡、また野方遺跡付近にあったと比定された。また、奴は「の」と読むと自説を強調された。

私の説は、邪馬台国は上の説に近いが、邪馬台国連合がこの付近、つまり春日市を中心として筑後川北部の広域にまたがっており7万戸を養うには筑後川沿いの地域が最も可能性が高いと考えている。王都は甘木付近で、朝倉郡には実際に後の世の天皇が行宮を築いていることからも有力視している。また、奴国は、多々羅川の流域にあり、特に川の北側の地域に比定している。ここは宗像に近く、香椎宮という天皇が住まいした宮があるほか多々羅川の上流には今も猪野川という地名があることで有力と考えている。そこには天照神社もある。猪野は「イノ」と読み、金印にある、漢「委奴(いの)」国王と同じ発音で読めること(榊原説により、奴を「の」読むことにする)、また金印の出土した志賀島は昔の糟屋郡であり、猪野も糟屋郡であった。金武遺跡(吉武・高木遺跡)は室見川上流にあり、早良郡に位置している。この地(吉武・高木遺跡)には日本最古の王墓があり、紀元前に栄えた地域である。従って、伊都国とは非常に関連が深い地域ではあるが、志賀島との関連が難しい。
不弥国も宇美説と穂波説が分かれる。筑豊の穂波(ホナミ・・・これを短縮するとホミと発音が似ている)があるのは遠賀川の上流であり、このような大きな川の流域には大きな人口があったとみてよかろう。宇美には宇美川があるが遠賀川よりは少し小さい(2級河川)のが少し弱い。宇美は神功皇后が応神天皇をお産みになった地とされる。宇美(うみ)神社がある。

注:委奴は漢書では倭奴と書かれているそうである。委も、倭も「い」と読むことはここではっきりする。私の説では倭国は「イコク」とよみ、大倭は「タイイ・・・タイー」と読む。
邪馬壹国 「ヤマイッコク」から邪馬臺国「ヤマタイコク」に変遷、さらに旧唐書で「タイ国」になったこととも矛盾しないからである。

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# by fusus-21 | 2016-05-12 22:31 | 地域(北部九州の古代)