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チアリーダの安全講習会で熊本がんばれのエール!

くまもんマークの付いた食料品などを購入して復興へ協力しよう。牛乳や卵、その他野菜など熊本からの入荷が増え始めた。これらの商品を購入することにより、熊本の皆さんに元気になって欲しいと応援しましょう。できることから、少しでも、行動しよう。

チアリーダーは新年度最初の安全講習会を行ったが、それに参加したチアリーダーが熊本の復興を待っているよーとエールを送った。チアリーダーは熊本の皆さんに笑顔、勇気、元気を与えるように応援します。皆さん、ご協力をお願いします!
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# by fusus-21 | 2016-05-10 14:12 | チアリーディング (FJCA)

早良は邪馬台や奴国以前に興った王権の始まりの地・・これが日向峠を越えて伊都国に移動、さらに九州を南下して邪馬台国に連なる

今の早良区には、(ウェブ情報)和名類聚抄』によれば、毘伊(ひい、現在の城南区樋井川付近)、能解(のけ、現在の福岡市早良区野芥付近)、額田(ぬかだ、現在の西区野方付近)、早良(さわら、現在の城南区鳥飼付近)、平群(へぐり、現在の早良区羽根戸から金武付近)、田部(たべ、現在の早良区小田部付近)、曽我の7があったとされる。発掘調査で規則的に並んだ掘立柱建物群や鴻臚館でも出土した8世紀が出土したことから、郡衙は田部郷にあたる現在の有田二丁目交差点付近にあったと考えられる[2]が、近年になって同様の掘立柱建物群が早良区の南西部にある金武交差点付近や金武公会堂北側から検出されている[3]。また、郡内の駅家として額田駅が『延喜式』『和名類聚抄』に記載されており、建物跡は見つかっていないが、官道遺構の延長上にあり、地名も類似した現在の西区野方(のかた)付近に比定されている[4]。また金武付近には日本最古の王墓が出ている。これは糸島で発掘された平原遺跡より古く、また卑弥呼以前にここの地域に大王がいたということになっている。

前述の豪族がここにいたとすれば、この時代にまでさかのぼるとも考えられ、奈良付近で古代に活躍した平群、蘇我、額田などとのつながりが気になるところである。質問をすれば、これらの豪族は大和朝廷の命令で九州に降ったという回答が必ずある。よく考えてみると、中央からわざわざこのような後の世の僻地に豪族が降ってくるとは考え難い。やはり、ここで興った部族が、なんらかの形で新天地を求めて移動したとしか考え難いのである。
物部氏は九州に(縄文時代から)土着していた部族と考えられ、遠賀川や筑豊に土着していた民である。これらの部族は神武天皇の東征に従って奈良付近に移動したと考えるのが普通ではないかと思う。物部氏、蘇我氏、額田氏、平群氏などとして畿内勢力として栄えた。その残党も九州に残り、やがて奈良付近が栄えるにつれて、九州へと錦を飾ったり、侵攻したりしたとの考えも成り立つ。こうして連携したり、戦ったりしながら古代の国が形成され、やがて飛鳥、天平文化が形成されていったのであろう。当時、大陸に近く高いレベルで大陸の文化を獲得し栄えた九州は、戦乱にも巻き込まれ、徐々に衰退し、和をもって尊しとした畿内の文化圏が繁栄し、さらに徳川政権の誕生で江戸文化が全盛期を迎えることになってゆく。そして明治政府は御所までも東京に移し、東京が経済・文化の中心になったのが現状である。

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# by fusus-21 | 2016-05-08 21:34 | 地域(北部九州の古代)

 邪馬台国の7万戸が生きてゆくための稲作

邪馬台国の比定地には稲作の適地であることが必須である。八女の南には矢部川(八女川)、筑後川、沖端川、塩塚川などが有明海に流れ込んでいる地域で、特に矢部川は塩塚川、沖端川、柳川に複雑に分流して流れ込むため、天然のクリークが縦横に走っている。これを巡って、柳川藩と久留米藩などで水争いが絶えなかったようである。このクリークは満潮時には潮が満ちて水没するが、底流は海水であるが、真水が表面をながれ表層水(あお)を利用しての稲作が盛んであった。これが古くからの知恵として豊かな稲作地帯を作り上げている。このような土地が古くは稲作地帯として栄えた地域の条件であった。大阪の河内、ここも古代には河内潟があり上の状況に似ていた。奈良盆地にはこのような大きな稲作地は見当たらない。また、遠賀川にも湿地が広がっていたらしく古遠賀潟と呼ばれていた。さらに上流の直方も広い湿地帯であったと言われており、ノウ潟が名として残っているのであろう。この地を支配していた宗像氏も多分、宗潟氏(宗潟を支配した人の意味)であった可能性もある。

江戸時代に柳川藩に入った田中吉政はこの地域の治水計画に熱心で、その結果、30万石と言われていた石高はゆうに70万石に達していたと言われている。その業績は今も川下りの観光で柳川市の財政的なメリットとなっている。

このようなクリーク地帯は古代から水沼の名で残されており、三潴郡(ミズマ郡)という地名を今にとどめている。

そのほか、八女を矢部川に沿って辿って行けば日向神神社があり、阿蘇に出ることができる。卑弥呼は阿蘇山の噴火で吉凶を占ったという。また景行天皇が熊襲征伐に遠征した時、この地では八女津姫に出会っており、この地が卑弥呼の都したところとするに十分な伝説を語り継いでいる。

こうなると、八女の女山の神籠石を見たくなった。

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# by fusus-21 | 2016-05-06 18:00 | 地域(北部九州の古代)

神倭磐余彦(伊波禮毘古)命・・・初代神武天皇

古事記で初代の天皇と呼ばれる神のなを有する天皇である。これを多くの学者は「カムヤマトイワレビコのミコト」と読んできた。倭、この字をヤマトとは私には読めない。「カムイ イワレビコのミコト」と読むほうが意味がわかる。カムイとはアイヌ語で古来から精霊(神)としての力を有する酋長にだけ与えられる敬称であった。縄文の昔からあった言葉と思われる。磐余は土地の名前であり、九州にあった。その土地の王であった、しかも神格化された大王であった人にだけ授けられる敬称がカムイである。毘古は日の子であり、太陽神の子という意味である。卑弥呼が日の巫女であるならば、同じ意味を有する女王であってもおかしくはない。巫女は今の時代は神主の補佐的役割をなす女性の通称になっているが、いにしえは神と人間の間にあり、神からの詔を仲介する神の使者としての意味があった。アマテラスオオキミは天照大王の読みと解する。オオキミがやがて大神と変わったのではないか。いずれにせよ、古代にはオオキミと呼ばれる大王がいたことは事実であろう。
後の世(天平くらい?)に天皇の称号がでてくるが、その称号を最初に与えられた神格化された大王がいた。すなわち、昔を振り返って「カムイイワレビコのミコト」が神武天皇と称された。卑弥呼やウガヤフキアエズのミコトくらいまでは遠い昔の伝説、神代の時代のものと考えれたのであろう。あるいは、あくまでも邪馬台国も九州の統一国家としての存在であったにすぎないと考えられていたのかもしれない。開国の第一号となった奴国(ヌ国)の王は北部九州の小国(邪馬台国と連合を組んでいた一部族の国)の王であった。大王とまでは認識されなかったということであろう。しかし中国の武帝からは金印が与えられ、倭国を委ねられたのである。

以上の意味から、神武は九州から畿内に東征し、日本統一の基礎を築いた大王であったと考えられる。

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# by fusus-21 | 2016-05-06 11:31 | 地域(北部九州の古代)

5月5日こどもの日からクマモン復活

地震以来、熊本の人気者クマモンがなりを潜めていたが、住民の心情を思い計らって、活動を自粛していたという。そして、こどもの日を契機に活動開始という。

これからは、住民の気持ちを高め、復興に向けての活躍を期待して活発に行動してほしい。頑張れクマもん!日本が、いや世界が応援している。

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# by fusus-21 | 2016-05-05 21:26

卑弥呼の祭り(花の邪馬台国まつり)・・・毎年ゴールデンウィーク明けの第二土曜日と日曜日

甘木市で開催される卑弥呼祭が間もなく開催予定である。甘木市は邪馬台国に比定されている有力な地域にある。多分、一番有力ではないかと思われる。前述の長沼名誉教授の説では八女付近であるが、筑後川を境に隣接しており、たとえ外れたとしても、吉野ヶ里同様に邪馬台連合国の一つであろう。邪馬台国が甘木にあったとするのは安本美典氏の説であり、この二人の学者の説は非常に似たものである。

いずれの著書も、神話や伝説は歴史としての価値が有る。伝説から歴史へと移るのがどの国の歴史も同じである。文化がまだ幼稚な時代には、語り合われた説話は歴史以上でも以下でもないと述べられている。この意味から、卑弥呼を論じ、邪馬台国を語っている。古事記に見られる第1巻(上つ巻)の神話は、九州の出来事を語っており、続く神武天皇の物語は九州から東遷した強力な王権の説話であるとしている。そしてこの巻は応神天皇の九州から畿内への凱旋で終わっている。神功皇后が我が子大鞆別を伴っての凱旋といったほうがいいかもしれない。下つ巻は仁徳天皇から聖徳太子(推古天皇)時代で区切られている。これ以降は、日本書紀が歴史を語っている。

聖徳太子が現れるまでは、武力が優勢な時代で、大陸から九州(博多)に輸入された鉄斧を武器に作り変え、馬を増殖させて騎馬軍団を養成し、畿内に侵攻した歴史であった。聖徳太子が「和をもって尊し」と説いて以来、日本は和の国として国際的にも認知され始めたのであろう。

この後、天智天皇(中大兄皇子)と天武天皇が現れ、徐々に日本が統一されてゆく。これまでは九州が歴史の中心に位置していた。

私の推察:邪馬壹国(八女倭国:やめいっこく)が、邪馬台国(八女大倭国:やめたいこく)に変化した。そして甘木や吉野ヶ里付近の国は邪馬台国と連合していた。

中国の郭先生(日本語の教授で日本の歴史に詳しい)の話を聞きに行ったが、倭を「わ」と読むのはどうしてか。少なくとも中国では「倭」は「い」としか読まない。卑弥呼はひみこ(日巫女)のことではなかろうか。太陽(日)を神として祈る巫女ではないか。神からの教えを伝える巫女であろう。私もこれに賛同したかった。

長沼先生(安本先生も)はアマテラスが卑弥呼であると言われている。これが天武の頃には伝承として伝えられていた。口伝である。アイヌのユーカラのように口から口へと伝えられていたのではないか。そして漢字が伝わり、古事記に神話として書き表されたものであるかもしれない。



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# by fusus-21 | 2016-05-03 17:51 | 地域(北部九州の古代)

 邪馬台と太宰府・・・九州大学名誉教授 長沼賢海著

私は時々、古い、しかも優れた本に出会う。表題の本は長沼先生が老骨に鞭打って、成し遂げられた大著で500ページに近い分厚い本である。内容も充実しているので完全に読破するのは極めて難しいが、できる限り紹介してみよう。邪馬台国九州説の考えが全編を貫いている。素晴らしいとしか言いようがない。昭和43年9月に刊行されたものである。発行者は太宰府天満宮文化研究所の所長 西高辻信貞氏である。

昭和紀元43年は、明治紀元100年、日本紀元2623年である。この本は、私が社会人として歩み始めた年に出た本であり、何か因縁を感じる。日本紀元とは神武天皇即位を元年として数えるが、この本では神武東征は卑弥呼より以後のこととしてある。
とにかく膨大な本であり、すべてを説明できるものではないが、かいつまんで説明できるところを説明してゆくしかない。どこまで説明できるかはわからないが、少しずつ進めてゆこう。

今日は遅くなったので、この辺りで、おやすみなさい!

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# by fusus-21 | 2016-05-02 00:09 | 地域(北部九州の古代)

熊本頑張れ・・・福岡市アクロス前広場にて

今日のアクロス前広場に、福岡で何ができるかを考えるため行った。どんたく広場として使われる会場で、熊本頑張れの催し。早速、写真を撮って掲載。
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舞台ではタイコを打って応援、舞台横のの木陰では練習中の団体が、お尻を振りながらフラダンスか?
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何はともあれ、元気に熊本!なくなクマモン!みんなが応援しているぞ!
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# by fusus-21 | 2016-05-01 00:06

癌患者が健康に生きる?!癌は必ずしも体調を悪化させない。その大きさが臓器全体のある割合に達し時不調が起こるのでは?・・免疫力アップのための野草レシピ

癌患者としての経験から言えることは、癌が必ずしも体調に影響を与えなかったということである。大腸ガンは6cmあったが、体調には影響がなかった。ただ、S字結腸の完璧に円周方向に広がり、便を詰まらせるようになった時影響が出てきた。肺に転移した時は、1cm大であったからほとんど機能に影響がなかった。切り取ったことによって初めて影響が現れるはずだ。右肺の中葉は全体の15%程度の肺活量の減少をもたらすのではないか。しかし、私の場合、ほとんど影響が出なかった。多分、切除後に尺八などを拭いて鍛え抜いたため、その分残った肺の活量が上昇したのではないかと思われる。今回の転移も1cm程度の大きさで見つかった。今回は切除不可能であったため、エックス線の局所照射という次世代技術が適用された。これによってどの程度の肺活量に影響が出たかは計測していないのでわからない。いずれにせよ、生活に影響を与えるような大きな影響は見られない。そのような意味から早期発見が大切になる。

私以外の例として、寄せられたメールから、以下のようなアドバイスもいただきました。

私の叔父も昨春黄疸症状がでて検査したと ころ胆管というむずかしいところに癌がみつかり、来年の桜はみられないといわれていたのですが、手術を受けない選択をして、本人なりに緑茶をのんだりビタミンCをとったりと努力をしているうちに、数値もよくなって、元気で桜の咲くのもたのしんでいます。人のからだの中でおきることは気力や体力などなどあいまってそれぞれなのだとおもいまし た。

義母が昨年5月に胃がんステージ4と診断され(大腸にも転移あり) 手術と抗がん剤治療を行っていますが、聞かされていた副作用がほとんどなく元気にしています。
前向きな気持ちと体力と孫があれば病気も乗り越えられるのだと近くで見ていて実感する日々です。

幾つかの例で言えることは癌とは極めて複雑であり、個人差が大きいということである。余命が何年(これはあくまでも統計的な値)と言われても、落ち込むことなく、楽しく健康的な生活を継続することを心がけよう。何が起こるかは最後までわからないのである。元気を出そう!笑顔で勇気をもって!

昨日は室蘭の友人から野草が送られてきた。癌にどうこうではなく、免疫を高める食事をというわけである。野草を求めて、歩くことも健康には良い。見つけた野草を美味しくいただいて免疫力を高める。一石二鳥である。

早速、調理!左側の2皿がそれである。行者にんにく(キトビロ)の豚バラ肉との油炒め、左下はコゴミの天ぷらである。旬の野草は美味しい。感謝、感謝の食卓である。明日もコゴミとあずきなで食卓を・・・。

今晩の食卓は、コゴミの酢味噌和えとあずき菜の茎は茹でた後きんぴら風に調理した。またあずき菜の葉は味噌汁に入れ調理。
明日は、あずき菜のお浸しかコゴミは?多分、バター炒め(下の写真上:コゴミと舞茸のバター炒め、横の丸いのは里芋のコロッケ)。
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上の写真の右下があずきなの味噌汁。今朝の食卓にあがりました。
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今日の夕食のメニュー例、上の左はコゴミの味噌マヨネーズ和え、右があずきなのお浸しです。醤油で食べました。

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# by fusus-21 | 2016-04-27 23:46 | ココノイエプロジェクト(食と健康)

癌患者にとって、いや生きているものにとって大切なことは健康!・・・健康であるから治療も意味がある

化学療法に当たって、主治医の話は、自分で楽しく生活出来る限り化学療法は続ける。化学療法で、ヨレヨレになるぐらいなら治療は意味がない。少しでもそのような兆候が見えれば化学療法はやめると話があった。

結局今回は化学療法に至らなかったが、これからも方針は変わらないとのことであった。ヨレヨレになったら治療はしない。だから、元気でいるように、元気で歩いて通院しろということである。治療のために入院はさせないとの方針が伝えられた。治療をしたいなら、自力で歩いてこいということであろう。

健康の基本は歩くこと。しかし、歩くだけでは必ずしも楽しくない。目的を持って歩くことが、歩くことを楽しむことにつながる。地域に歩く会は数あるであろう。何を求めて歩くかは会ごとに異なる。写真を撮るため、歴史を学ぶため、野草を採集するため、など色々である。私のところに、室蘭ウオーキング協会の情報があるので紹介する。
北海道の歩く会だけに4月から11月までの月一回が公式予定である。冬は歩くどころではないのであろう。月ごとに課題があり、テーマは「歴史的建造物見て歩き」、「幻の室蘭公園と茶津山」、「イタンキ浜、渚とエゾカンゾウ」などである。いずれも楽しそうなテーマである。一つ、不思議なテーマを見つけた。「有珠善光寺の桜」である。桜見(花見)とも考えられるが、謎は深まる。なぜかといえば、5月22日の日程である。今日、室蘭地域は開花宣言がでている。4月26日である。5月22日まで花は持つのだろうか。そうではなければ、「有珠善光寺の桜」の意味は?興味津々!?

室蘭ウオーキング協会の参加証の表紙に参加者心得が印刷されている。

ウオーキングマナー五ヶ条
1.やぁ!お早う 明るい挨拶 さわやかに
2.信号で、あわてず あせらず 待つ余裕
3.ひろがるな、参加者だけの道じゃない
4.自分のゴミ、自分の責任もち帰り
5.歩かせて、いただく土地に感謝して

健康日本21 イチ、ニィ、サン
1.1駅分はいつも歩こう
2.2キロまではいつも歩こう
3.3階まではいつも歩こう

ウオーカー心得
1.帰るときは来たときより美しく
2.写真以外はとるべからず
3.足跡以外は残すべからず

自然保護憲章
1.自然を尊び 自然を愛し 自然に親しもう
2.自然に学び 自然の調和をそこなわないようにしよう
3.美しい自然 大切な自然を永く子孫に伝えよう

以上は、われわれが永く(子孫代々)この地球で生きてゆくために守らなければならない鉄則である。歩くことは生きるための基礎である。集団で歩くことのマナーとしてあえて紹介しておこう。


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# by fusus-21 | 2016-04-26 21:15