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”余命1年”の癌患者が、健康な生活への改善(運動と食の質)

大腸癌が肺に2度にわたり転移し、処置(右肺中葉切除、右肺下葉放射線3次元照射)した。今年2月の転移は手術不可能な箇所(心臓に近く、大静脈に接している、小さい気管支が重なっている)であったため、治療は化学治療しかない。この場合放置すれば余命1年、化学治療を試みてもすぐ耐性ができるため、延命しても2年と判定された。
治療法の選択が必要であった。幸いにして後日、放射線治療(3次元照射により癌だけに集中照射する方法)が適用でき、処置した。その後、1年程度の要観察で、効果を見て行く。成功したかどうかはすぐには判断できないのである。副作用も1年くらい長期にわたって現れる場合があり、油断できない。

1ヶ月後の検診で、血液検査、レントゲン検査が行われた。次は、同じ検査とCTが1ヶ月後に行われる。1ヶ月後の検診の際に、主治医から血液検査、レントゲンとも異常無し、また肺活量などの機能は8ヶ月前の中葉切除前に計測した4.6リットルより今回の方が上昇しており、不思議だと言われた。5リットル弱になっていた。
「癌にかかる前はでたらめな生活をしていて、癌にかかってから食生活や生活習慣の改善に真面目に努力している成果ではないですか」と言われた。これだけ手術を重ねて、体力や身体機能が落ちないことは普通はあり得ないと言われた。

それなら、どのような改善があったのか考えてみれば、「癌友」に情報として役立つのではないかと、考えてみることにした。

癌にかかる前は頑強な体力を武器に薬は飲まない、血圧は高いが、医者にはかからない、腹一杯食う、二時過ぎまでは寝ないなど、生活習慣はでたらめで、運動も不足していた。座学が多いが、会議などで歩き回るのでそれが唯一の運動であった。早足なので運動不足にはなっていなかった可能性はある。

癌になってからは少なくとも睡眠時間は6時間以上を確保するようになっている。腹7分くらいで済ませる(腸の負担を減らす)。弱い血圧の薬を飲む(大動脈瘤ができていたため、その対策)。これくらいは生活改善を試みた。また肺を切除した後、肺を鍛えるため尺八を習いに行き、毎週1回は練習、宿題をほぼ毎日こなすなどの努力をした。

以上が最低限の生活改善である。薬草茶などを飲むことによって水分を多めにとるよう心がけている。酒を慎むなども注意したところ。というより、家族からの強制のところもある・・・孫が、「お酒を飲んじゃだめー」という。これには弱い。

友達からは薬草茶のほか酵素、発酵食品のススメなどがある。この辺りは奥が深いので、今後少しづつ記載する・・・・・食質の改善と運動(歩き)が大切になる。今後、NPO FU-sus21の薬草教室などでも企画が立案される。

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# by fusus-21 | 2016-04-25 11:06

足元への注意・・・災害時の装備

災害時に対処するために、普段から注意すべきことに足元への配慮であろう。熊本市長は慌てて歩いたため、ガラスを踏んで負傷したという。靴の底は強度のあるビブラム底などが好ましい。私は災害時に準備したわけではないが、登山用の靴を平常時にも活用している。特に、足元の悪い冒険旅行用としてビブラム底の靴を活用している。ハイダグワイを訪問した時に使った靴は下の写真のようなものである。軽登山靴である。足首をしっかり固定できる。タウンシューズとしてもう少し軽いものもある。ウオーキングシューズである。靴底は同じビブラムである。これならガラスを踏んでも大丈夫であるが避難場へ出入りがある時は脱ぎやすいタウンシューズ用の靴が良かろう。紐を緩めておけば脱ぐ、はくがしやすく機能的である。東北震災地を訪問した際には、がれきの上を歩くため重宝した。
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# by fusus-21 | 2016-04-24 07:36

熊本震災の地震も沈静化の兆しを見せはじめた

新幹線も福岡から熊本まで通じ、そろそろ復活へ向けてスタートしたと思われる。この時期に首相が訪問、少し遅すぎるのではという気がする。やはり激しく揺れている時に訪問し、被災者を励まして欲しかった。揺れを実感して対応を素早く考えて欲しかった。安倍首相はそのような人だと言ってしまえばそれまでであるが。

日ごとに疲労がたまり、最近は持病を持ったひとやエコノミー症候群などで命を落とす人まで現れている。これからも大変な事態が想定される。今後は、このような事態への対応であろう。健康を害している人を新幹線で揺れの少ない地域(福岡など)に移動させ、治療に当たるような処置を行った方がいいであろう。揺れないだけで精神的に落ち着き、回復は早まる。

今回の経験より、いろいろ学ぶ必要がある。建物中では危険で、外で過ごす必要がある。その場合に、山登りで使うテントが役立つのはわかっているのだが、確かに山登りをしない人はあまり準備がないのであろう。私は、昔使ったエスパースと呼ばれる2〜3人用と、もう一つは最新式の軽量テント(1人用)を備えている。いずれも自立型というタイプで、グラスファイバーの支柱をゴムひもでつないであり、使う時には長い棒にしてx字に組み、テントを吊り下げて支えるのである。一人でも簡単に組み立てられる。これに寝袋(シュラーフ)、クッション(エアー式とウレタン)を組み合わせれば石ころの上でもなんとかなる。少なくとも足を伸ばして寝ることができる。エコノミー症候群は防げるのではなかろうか。完璧とまでは行かないまでも、車よりテントが役立つのではないかと思われた。寒さも防げる。

もう一つの必須アイテムはヘッドライト、最近はLEDになり電池が長持ちし、明るさも増した。これは2〜3台準備してある。定番のペッツエル製、パナソニック製、予備の中国製である。

もちろん、コッフェル、バーナー、水筒なども準備してあるが、災害時に役立つかどうかは不明である。興味があるのは泥水から飲み水を作るフィルター、これは手持ちにないが一度平時に試しておくのもよいかも。サバイバル グッズとしてまともな商品なら役立つかも・・。とにかく第一は、体を冷やさず眠れる道具を揃えておくべきである。

先日、NHKの朝一で災害時の装備が図解されていたが、ヘッドランプが抜けていたように思う。是非、揃えておいて欲しい。電池の消耗は少なくなったが、電池もかならず相違しておく必要がある。暗い便所の問題が解決できるかもしれない。暗い中では両手を開けておいた方が良い。ヘッドランプはそために必要である。災害時に山でのテント生活の知恵が役立つ。これに加えて、昔使っていた、FM、AM携帯ラジオも情報獲得には役立つかも。

災害時には昔、不便な生活をしていた頃の知識や道具が意外に役立つのである。震災前には大いに騒いでいたドローンがなりを潜めているのはなぜであろうか。活用の場があるのではないかと思うのだが。

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# by fusus-21 | 2016-04-23 18:48

神戸付近で起こったあってはならない事故・・・工事中の橋梁落下

ここまできたらもう日本の劣化は著しいと言わざるを得ない。甘利と土建業の癒着に見られるように、このところ政治の劣化が著しいが、恥ずかしい事故がまた起こってしまった。政治の劣化と関連すると思われるのは、業者との間に政治家が絡み、利権を行使して工事資金などを吸い上げ、業者が手抜きなどを平気でやれる土壌が出来上がっているのではないかと考えうるからである。甘利疑惑同様に、徹底解明しなければならない。日本の技術レベルからいうとこのようなことは起こらないと考えれてきた。それが起こったのだ。そこには何かがある。
震災にしても、首相をはじめ大臣がだれも被災地を訪問せず、机上の空論を密室で展開しているようにしか見えない。日本が危ういのはこのような人々が政治の中枢を握っているという現実である。

総理や大臣は交通機関がどうであれ、彼らの特権を利用すれば、自衛隊のヘリなどを利用して被災地に足を運ぶことができるのだ。変なところだけ特権を利用し、やるべきところにはそれを行使しない。被災者は泣いている!怒っている!

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# by fusus-21 | 2016-04-22 23:45

被災地の指示に従い復旧活動が進む

インフラも復旧が進み、徐々にではあるが収束に向かいつつある。初期段階では自衛隊、消防、警察、行政などのよる活動に頼らざるを得ない。昨日くらいからはボランティアの募集が始まった。早速、全国から学生や若者を中心に結集が始まっている。高齢者など力仕事が無理なものは日常生活の中で出来うる行動を考えることになる。

それにしても日本は災害が多すぎる(災害列島)。それにもかかわらず災害に弱い。なぜかを根本的に考え、対策を練っていく必要がある。政治があまりにも脆弱であることを感じるこの頃である。政治が無力であるから、国民が英知を結集して考える必要が迫られている。今回は特に政治家の顔が見えていない。いかに内閣に人材なしかを感じさせる。

2011年、東北を襲った大震災、この復旧ができていない時期に今度は熊本が襲われた。東北の大震災はプレートの大きな動きに起因しており、M9の超弩級であり、津波を伴った。

今回のは、活断層のズレに起因しており、M7クラスである。このクラス、このカテゴリーに入る都市直下型地震は1995年の関西、2004年の中越、2005年の福岡西方沖、2007年の中越
、2011年の信越そして今回(2016年)の熊本と20年間に5回以上も起こり、徐々に間隔が狭まっている。

今後どこに起こってもおかしくない状況と考えるべきであろう。報道にあったが日本列島は活断層の集まりの中にあり、一度活動期に入ると震災で国の破綻がくるのではないかと恐怖感さえある。自然の営みの中で、それを借りて生活を営む人間は、その威力の前にいかに弱い存在であるかを考え、謙虚に身の処し方を考えてゆくことであろう。

奢る平家は久からずという諺があったが、奢る政治にも同じような警鐘が鳴らされていると考えるべきである。我々は自然の前に無力であることを考慮して行動したい。まず、自ら身を守ること、そして地域社会が後方支援を考えること、社会全体が防災意識を高めて行くことが求められている。

九州南部は阿蘇の火山灰に覆われた地域であり、地盤が弱い。福岡は大陸の岩盤の端に乗っており地盤が固い。その差が被害の大きさに影響したとも言える。しかし、東京より東も富士山の火山灰に覆われており(関東ローム)、九州南部と同様に地盤が脆弱である。マグ二チュードだけでなく、震源からの距離、震源の深さ、さらに地盤の硬さなども配慮した災害対策が必要となる。震源からの距離や深さは起こるまでわからないが、地盤の強度などはある程度わかるので、これに応じた災害予知を行政が立案し、その対策としてのインフラ整備が必要である。避難場とする建造物が壊れて使い物にならないなどは無策といわれても仕方ないであろう。

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# by fusus-21 | 2016-04-22 10:58

熊本・大分の大震災に対し心よりお見舞い申し上げます。まだ、安定した状況ではないので、今後に心配もあり、地震の収束を祈るのみです。

記録的な何百回もの余震が続いており、ブログに何を書けばいいのか分からないほどです。福岡も揺れています。夜中に近づくと大地が動き始め、本当に眠れない夜かと思います。身体のほうに加えて、精神的にも参ってくると思います。どうぞ、負けないで、生き抜くことに全力をあげてください。

駆けつけたくとも、高齢でしかも癌患者、どうしようもなくただ地震の収束を祈るのみです。東北の大震災の時にも、ボランティアに行こうとしましたが、高齢だからと断られました。その翌年に訪問しましたが、車で回るだけでも疲れ切り、やはり高齢者は足手まといになるだけと実感しました。今回はその経験からボランティア活動は無理と分かっていますので、復興活動の中で自分に出来得るだけのことをしようと、じっと地震の終結を祈り事態を見つめています。高齢者の悲哀を感じるこのごろです。

明日からボランティアの募集が始まりそうです。九州チアリーディング連盟や福岡県協会の動きも活発化してきました。まだ、余震が強く、2次災害も心配ですが、十分に注意して活動をお願いします。元気、笑顔を忘れないように、被災者の皆さんに勇気を与えられるよう全力を尽くしましょう。



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# by fusus-21 | 2016-04-20 21:37

舞鶴城内の桜満開から散りゆく桜


四国の旅のエピローグは舞鶴城の桜の満開であろうか。
四国に桜を見に行ったが、気温が低いのと、寒暖差があまりないことが原因で、満開は4月になるということであった。3月29日に四国の旅を終え、福岡に帰り着いた。そして、見事に日本で最初の桜満開宣言。舞鶴城内の桜が全国に先駆けて満開になったのだ。われわれを祝福するような出来事であった。
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桜並木の下を城へ向かう。
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城内は桜祭りで、賑わっている。西公園は酔っ払い用の花見サイト、城内は家族向けの花見サイトである。酒を飲んで騒いでいる人はいない。騒ぎたい人は4月に入ってから西公園へ。
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桜を眺めて、天守広場へ。
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天守広場から見下ろす城内の桜。8分咲きか。定義では8分咲き以上で満開という。まだ散る前の桜である。
お二人の旅人は、福岡の桜を満喫し、午後の便で、札幌千歳空港へ。

新幹線「さくら号」に乗り、八幡浜からはフェリー「さくら丸」に乗船し、こだわり続けたさくらを見る旅は、ここで実現した。今年、全国初の満開宣言が出た福岡で・・・。

もう一つのエピローグ:
ここでさくらが散るところをお見せしておこう。さくらは満開も美しいが、散る時にも美しいのが特徴である。
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お堀に散ったさくらの花びら、そこで遊ぶカモちゃん。
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ゆく春を惜しむようにさくらは散ってゆく。咲いてもよし、散ってもよし。日本人はこよなくこの花を好む。
漂白の詩人、西行法師も月とさくらを愛でて、2000をこえる和歌を残した。西行の桜は、山桜か枝垂れ桜。当時、ソメイヨシノはまだなかった。





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# by fusus-21 | 2016-04-13 20:31

3月29日 八幡浜を離れ、フェリーで臼杵の町へ

四国の旅もそろそろ最終日、四国西端の八幡浜から臼杵の町へ向かう。フェリーで海峡を渡るが、そのフェリーの名前がこだわりの「さくら丸」、行きの新幹線が「さくら」であるからとことんこだわる。
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八幡浜港のランドマークとなりそうな山である。その麓にフェリー乗り場がある。
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乗船した船の名前が「さくら丸」。かなり大きな船だ。これならそれほど揺れずに海峡を渡れる。素っ気ない船出である。汽笛もドラの音もないまま出航した。2時間少々の船中であるが、ここで幕の内弁当を食べ、エネルギー補給。臼杵の散策に備える。
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海峡(豊後水道)を航行する。右が四国、左に九州の岬が霞んでいる。
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ほどなく臼杵港に入ってきた。九州は豊後の国の町である。山には、さくらが咲き、春かすみの中にピンク色がほんのりと見える。
フェリー著船場からタクシーに乗った。観光コースがわからないので、聞いているうちに、3月はキャンペーン月間で、タクシーで2時間、メータでは8千円くらいのコースが3000円に割り引かれるという。市からの補助金で臼杵を売り込むのだという。何があるのかわからないので直ちにそれに切り替え、タクシー観光、疲れた最終日にはラッキーこの上ない。ガイド付きで市内を巡る。石仏と武家屋敷がメインという。

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臼杵は神社・仏閣が多い。信仰の町である。古い佇まいによく似合う。
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武家屋敷の立派な壁が囲み、門が家ごとに誇らしく並んでいる。内子の町屋とは少しちがう雰囲気の町である。
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その町の路地を散策。人とおりも少なく、ゆったりと時間が流れる。
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門は石段の向こうにあり、屋敷を衛るかのようだ。かなり身分の高い武士の屋敷であろう。

武家屋敷を離れ、有名な石仏に詣でる。磨崖仏と言われ、岩に直接のみを入れて製作された仏様だ。主となる大日如来は地震で首が落ち、現在修復中で見れないがその分拝観料も値引きされているという。とにかく、臼杵に来たら磨崖仏と拝観することにした。
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入り口には石塔が見えてきた。
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その奥に行くと、数多くの仏像が崖の祠に彫ってある。磨崖仏だ。
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猫も、身じろぎもせずに拝んでいるようだ。体に触れても動こうとしない。
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参道を進むにつれて、次々に仏が現れる。霊験厳かな仏たちを拝みながら進む。要所要所に線香の売り場があり、それを買って火を灯しながら無病息災を願う。
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仏に備えられたように椿の花が並んでいる。
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これが大日如来坐像。修復中で参拝できないと聞いていたが、今日から修復なって参拝可能になったと、入り口の券売り場で聞いた。まさか今日から拝顔可能とは!ラッキーこの上ない、何かご利益がありそうな出来事である。感涙にむせぶ出来事でもある。
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参拝を終えて再び町へ向かう。街中では聖徳太子を祀る塔が見られた。
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臼杵の城が街中にある。高台から臼杵の市街を見下ろす。今回の旅では、臼杵については立ち寄ったというだけで、細かい下調べはしていなかった。あくまでもオプションツアであったが、またゆっくりと尋ねてみたいという気にさせるしっとりと落ち着いた町であった。また来る日があることを祈念して、JRで大分まで、大分から特急ソニックに乗り換えて福岡へ・・。



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# by fusus-21 | 2016-04-12 15:38 | サスティナブル ツーリズム

3月29日・・・四国の旅もいよいよ最終日

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内子では夜明けととも起き、町内散歩に出かける。今日も良い天気が約束されているようだ。「くら」を出て南方向へ。
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このような家にはレトロな車がよく似合う。
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桜もかなり開花してきた。
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西に小路を入ると内子座がある。昔の繁栄を偲ぶたたずまいを見せている。
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長々と続く白壁が印象的な路地である。
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独特の飾りが家を囲んでいる。幾つかの家で見られた。この辺で宿に戻り、朝飯だ!
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おかずが9品と飯に味噌汁、普段はお目にかかれない豪華な膳が嬉しい。

朝食後は荷物を預けて、昨夕訪れた町並み保存地区へ。

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高倉健さんと寅さんに会える活動写真館、朝日館まえ。なぜか、丹下左膳になりたがる人がいるようだ。
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金毘羅街道の表示がある。お遍路さんはこの道を通って、金毘羅様に参るのであろう。
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早速、町の人が現れて立ち話し。左官さんの誇りの白壁が並ぶ町について話が弾んでいるようだ。
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花に水やりしているおじいさんの嬉しそうな顔が印象的。そうしていると昔女学校に通ったおばあちゃんが現れ、昔学んだ英語の話「abcd・・・・・xyz」と読み上げて、嬉しそうな笑顔。
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朝の散歩は色々な人との出会いを作り出す。
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内子町の出会いに感謝して、お稲荷様に参る。何かいいことありそうなと、お狐様がこちらを見つめている。
そろそろ、八幡浜に向かう列車の時間が近づいた。
駅に向かうとしよう。
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内子駅から、ローカル線で八幡浜へ。車窓から、大洲城が見えた。肱川を天然の堀にした難攻の城である。

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車窓の風景を楽しみながら、線路は八幡浜へ続く・・・。

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# by fusus-21 | 2016-04-10 10:56 | サスティナブル ツーリズム

3月28日 内子宿に着く・・・夕方の街をぶらり

トンネルを抜けて内子に入る。大洲から予讃線を内子線に乗り換えて内子の町へ。ここが今宵の宿場である。町家別荘「こころ」の主人に連れられて民宿・町屋別荘の別館、「蔵」に案内された。ここは借切りで、1日、1グループのみが一夜の宿を借りることになる。2階から、坪庭を見下ろす。正面に見えるのは風呂で、檜で出来た昔ながらの日本風の浴槽である。
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とりあえず荷を置き、町内散策。
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まず目に付いたのは発酵食品の店、「森文醸造株式会社」。昔懐かしい、酢卵や食べる味噌を作っている。全て化学薬品無添加の体に良い製品のみを作って、売っている。古いおかめの面が軒下にかかっている。なぜか水戸黄門になれるような写真用の板が立っている。
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次に目に付いたのは軒下から下がった乾燥とうもろこし。これを竿から外し、お金を玄関左側のお金入れに落とし込む。筒になっていて、お金は座敷の中に転がり込むようになっている。
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これはたわし屋。俺こそ本物のたわしを作っているという変なおじさんがいて、やはり自作を販売しているのだ。なぜかたわしを買うと、この町は蠟燭の町ではない、原料の木蝋を作っているだけだと町の繁栄の歴史を長々と説明してくれる。A3用紙に図入りで木蝋の作り方を説明したコピー用紙をくれる。「内子の町並みに蠟燭は全く関係ありません。」と太字で大きく書いてある。内子では、昔、内子座での芝居興行や相撲興行があったのだよとも説明があった。いずれにせよ、変なおじさんであることは間違いない。
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白壁の町家が長く連なっており、この道は金毘羅様へのご遍路道でもある。ご遍路道100選となっているようだ。
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内子の町はこれとは直角に走っており、今宵の宿「こころ」もこの通りにある。ここを南に20分ぐらい歩くとJR内子駅である。
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寝室はこのような部屋(下の写真)を使うのだが、廊下を隔てて大広間があり(上の写真)、広いのでグループで泊まる場合にはここも寝室にできる。ゆっくりと眠って、明日は早朝の内子探索である。果たして何が待つやら・・・・。



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# by fusus-21 | 2016-04-09 10:08 | サスティナブル ツーリズム