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記紀を彩る英雄たちの血統を独断で推察する(真夏の夜の夢)

記紀には、カムイイワレヒコ、ミマキイリヒコイニエ、オオタラシヒコオシロワケ、イタケル、オキナガタラシヒメ、オオトモワケ(ホムダワケ)など英雄の生涯が描かれている(これらは学会や古事記の研究者の記述には従わず、我流の読み方をしている)。英雄たちは他にも多数描かれており、クマソタケル、チクシノイワイなど近畿からみて九州の外れにいた英雄たちはどちらかというと悪役的に描かれている。これは、中央政権に従わず、聞き分けの悪い輩(いわゆる、まつろわぬ人)と中央政権からは見えたからであろう。中央政権は、この場合、大和の天武天皇の政府ということになる。いわゆる大和朝廷である。

次に、英雄たちの背後にある大陸勢力を記紀の記述に基づき推定しよう(我流で、証拠はないが)。
カムイイワレヒコは、絡東江の西岸上流にあったウガヤの血を引く一族の将と思われる(アマツヒコナギサタケ ウガヤフキアエズとタマヨリヒメの子である。ウガヤフキアエズはトヨタマヒメの子であり、トヨタマヒメは大鰐であったと古事記にある。つまり、海外:大陸からやってきた姫様と思われる。)。太陽を信仰しているとされる。オオタラシヒコオシロワケやイタケルは、クマソタケルやイズモタケルを襲撃したことより、ウガヤの血統と考えてよさそうである。
ここで、クマソは熊をトーテムとする洛東江の下流にあったアラカヤ(当初、太陽を信仰していた部族であるが、のちに百済とつながりクマ信仰を受け入れていった)と親交のある九州南部に拠点を構えていた一族としよう。韓半島におけるウガヤとアラカヤの争いが倭国にも持ち込まれたと考えるのが自然ではないかと考えたものである。カムイイワレヒコもオオタラシヒコオシロワケ、イタケルも北部九州で戦闘した経緯はなく、北部九州に居住していた種族はウガヤ系ではないかと思われる。

ミマキイリヒコは、名前から任那城から入った一族と関連する王者としておこう。イワイは新羅と結んだという記紀の記録を信じるとすれば新羅と親交があり、オキナガタラシヒメやオオトモワケは百済との親交が深く、新羅を伐とうとしたと考えうる。

卑弥呼は、「日の巫女」と考えればウガヤ系の女王であり、太陽神を信仰していたと思われる。こう考えれば、北部九州には太陽をトーテムとする部族が結集しており、南(南西?)部には熊をトーテムとする一族が住んでいたと仮定できる。神代とかいて、くましろと読むケース(あるいはその逆、熊代と書いてカミシロと読む)が現在にも続いている。神=熊という関連を推定しうる。球磨や熊、あるいは隈はなにかの関連を持った字のようにも思える。九州の各地に存在する地名で関連を読み取れないかと思う次第である。
以上、独断での推論であり、学会や通常の説とは異なるところが多いと思われることを書いている。客観性には乏しいかもしれないが、真夏の夜の夢の一幕とお考えいただければ幸いである。
by fusus-21 | 2013-08-15 05:21 | 地域(北部九州の古代)