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はるかなる響き(4)

福岡市民会館大ホールは、かつて福岡市民のための音楽会場であった。いま、それが音響設備を一新したアクロスホールに代わってしまった。むかしのように市民会館での音楽会は激減した。私は、市民会館大ホールでの音楽会を復活させていただきたいと思う。響きが強すぎるホールでの演奏会は、力のない楽団にとってはいいのだが、力のある楽団にとってはむしろ響きが弱いタイプのホール(響きの定義が難しく、素人にはうまく表現できないのでお許し願いたい)の方が絶妙の演奏になるのではなかろうか。
ムラビンスキーのレニングラードフィルによる未完成、ノイマンのチェコフィルによるモルダウ、マズアのライプチッヒ ゲバントハウスのベートーベン第9などの名演奏は市民会館の大ホールで生まれた。
ムラビンスキーの演奏はすごかった。シューベルト未完成など、ロシアものの入らない演奏会で実はすこしがっかりしたプログラム内容との思いで入場したのだが、かつてない、それ以後もない、いわゆる空前絶後のすごい演奏になったのである。オーケストラが入場し、コンサートマスターが音合わせをし、可成りの時間をおいたあとムラビンスキーが登場した。右後方部からであったと記憶している。一瞬、オーケストラに緊張が走ったのが分かった。長身痩躯の指揮者が指揮台に近づく、大きな拍手が起こったが、彼は吾関せずという表情で指揮台に上がり、厳しい表情はそのままで、しばらく間を置いてタクトを上げた。タクトが降られ、なにか音が聴こえてくる。とてつもなく低くうなるような低減の音、聴こえるかどうか分からないほどの大きさであるが、確かに楽器がなっている。聴衆が必死で耳を傾け聴こうとするが、なおもかすかにしか聴こえない。しかし、地の底から響くような低弦の音であることには違いない。徐々に大きさを上げて行くが鳴り響くと言う印象ではない。あのレニングラードの最強音(ヤンソンス指揮ではしばしば聴いた)は最後まで押さえられた。ムラビンスキーの意思によって抑制された、しかし確固たる一糸乱れぬ演奏と言うのか、このすごさは、演奏会に参加した経験が少ないものにも感銘を与えたようである(始めてオケを聴く、学生を同行していたが、声をなくしていた。すごかったとの表現であった。緊張感で息苦しいほどだったとも言った。まさにすごみのある演奏とはこのことであろう。)。第2楽章の最後の音が消えて行ったあとまで、聴衆はその余韻に酔っており拍手がしばらくなかった。やがて、大きなため息(苦しいほどの緊張で静まり返っていた会場に、その反動として堰を切ったという感じか)と咳払い、我に返った聴衆の大拍手、スタンディングオベーション、それでもムラビンスキーは静かに一礼しただけで舞台裏に去った。この聞き取れるかどうかの極限での弱音であるが、しっかりした音の響き、このような演奏は、響き豊かなアクロスホールになってからは一度もない。いわゆる「背筋がぞくぞくとするような」感動、これはオーケストラのうまい下手ということでは解決できない問題と思う。
ノイマンのチェコフィルも同じような経験を与えた。モルダウの冒頭部で、弦が弱音ながら豊かに広がり響く中、高音の弦と指先で弦をはじく音が表情豊かに飛び交う部分でやはり背筋がぞくぞくする演奏になった。かすかに、極限状態の弱音で音が飛び跳ねている、丁度、モルダウの川面を小魚が跳ね、そのしぶきに陽光があたりきらきらと光の粒が交錯しているようなというか、とにかく表現できない音色であった。この演奏会の入場券は楠教授が「会議で行けないので、もし行きたいなら券を上げるよ」と言われて、喜んでいただきますとして得た機会だった。翌日、「どうだった?」と聴かれたので、上記のようにすばらしかったとお礼を伝えたのだが、教授は、「ノイマンの演奏がそんなによかったの?」と怪訝な表情をされたのを記憶している。翌日の新聞紙上でも絶賛されていた演奏ではある。

大きな音で度肝を抜かれたのは、ショルティ、シカゴのマーラー5番であった。シカゴの分厚い最強音が繰り返し、繰り返し壁に当たり、建物全体が揺れ動くような錯覚を覚えた。このような演奏では、背筋がぞくぞくとする感じはおこらない。アクロスでは、こちらの雰囲気は味わえるが、これもまたすこし違った感じであった。インパルのマーラー5番をアクロスで聴いたが、確かに最強音ではあったが、あの危ういような市民会館の音はアクロスでは聴けないことを実感した。
by fusus-21 | 2013-09-25 14:31 | AltecとWEの伝説・・原音追求への道