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年を経し糸の乱れの苦しさに・・・修学旅行で平泉を訪ねる

55年も昔の話しながら、修学旅行で平泉を訪ねた。当然、中尊寺を訪問した。当時の中尊寺は、金色堂の金箔ははげ落ち、黒い漆の中にわずかに金色が残るという状況であった。螺鈿の技巧は見事に残されていた。鞘堂は今の様なコンクリートではなく、白木の、長い年を経て風雨に耐え抜いたものであった。実に趣があり、松尾芭蕉が詠んだ、
「五月雨の降り残してや光堂」
の句にぴったりと合う雰囲気の中にあった。コンクリートの鞘堂に移設後、訪問してがっかりしたのを覚えている。あのときの印象がいまも脳裏に焼き付いているのは幸せの限りである。やはり光堂はコンクリートの中は似合わないのである。苔むす参道をのぼる方がいい。
高館に行った。北上川の雄大な、ゆったりした流れはかなり下の方で、高い堤は、この川が暴れ川であることを示していた。高館は消滅していたが、土手の上に小さな祠があり、その中に義経の像が鎮座していた。あまり貫禄のない像でがっかりしたが、立派な像であれば盗難にあうであろうからやむを得ないかなとも思えた。像を見なければ、古い祠がうっそうたる夏草の中にひっそりと建っており、まさに草深き奥州の地であり、この地で行われた戦乱が想像できた。
「夏草や 兵ものどもが夢のあと」
を彷彿とさせる雰囲気であった。これも、最近では、堤防は舗装され、草も刈られて昔の情景は全くなかった。世界遺産に登録されることが分かっていれば、もう少しあの当時の雰囲気を残してほしかった。束稲山から右に目をやれば、やはりうっそうと茂った夏草の中に衣川が流れていた。ただ、草が深く水面はみえないほどで、川のようには見えなかった。中学の教科書にあった絵を思い出し、義経の憤死以上に、前九年の役や後三年の役の戦場(これについては、少し注釈が必要で後日述べる)が目に浮かぶ情景であった。金鶏山も目前に見えていた。その麓あたりには毛越寺があった。
すべてが、今の状況とは違い、長い時間がそこには留まっているように思えた。芭蕉がいった、「金鶏山のみ形を残す」ということは事実であろうが、それなりに夏草は茂り、芭蕉が感じた「兵ものどもが夢のあと」の情感がまだ残されていた。日本では保存より、開発、商業主義に重きが置かれる。諸外国とは大きく異なるのがこの辺りの考え方であろう。世界遺産の意味を再考すべき時期と思う。世界遺産登録にはそれなりの覚悟が必要である。
by fusus-21 | 2013-10-02 00:24