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神の名をいただいた天皇と皇后・・・神武天皇と神功皇后

神武天皇と神功皇后は神の名をいただく特別な地位にあったとは思っていたが、宋史を読むとその位置が特別なものであったことがよくわかる。特に、神功皇后は、天皇として扱われており、特に際立った存在であったと思われる。神武天皇が筑紫の日向から畿内に進出したのに対し、神功皇后は、敦賀から長門の豊浦を経て、洞海湾の飛幡に入り、北部九州を席巻した。そののち、香椎で亡くなった仲哀天皇の遺骸とともに畿内に戻り、畿内から敦賀のあたりで過ごした。福岡県はもとより、佐賀県にまで多くの伝説が残り、九州縁の皇后(天皇)であることは間違いない。神功皇后に関しては、仲哀天皇の第二妃でありながら、皇后として高い扱いをされており、これは古事記にも同様に記されている通りである。仲哀天皇は、「鎮国香椎大神」であり、子息のオオトモワケは、胎中天皇として後に応神天皇、さらに「八幡菩薩」とも呼ばれたとある。現在の八幡神社は、応神天皇を祀った神社であり、1000年以上の間そのように呼ばれていたことになる。如何に神功皇后の威光が高かったかが分かる。このような意味で、神武天皇と神功皇后の足跡を辿ることは興味深く、多くの伝説や歴史上の出来事が語り継がれている。北部九州は神功皇后の伝説が限りなく残された地であり、ここに住むものはその足跡を辿ることができる恵まれた境遇にあると言えよう。2000年の歴史の風の中に立てるのである。
by fusus-21 | 2013-12-25 18:24 | 地域(歴史)