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食質の改善について・・・5月30日、11時から、イムズ8階ABSSにて

野草から作る酵素による食の改善についての講習会が開始されます。その説明会を5月30日、午前11時からイムズ8階 ABSSにて行います。それ以後の講習内容、フィールドワークなどの日程についても当日説明します。ふるってご参加いただければ幸甚です。

会場が取れず、二転、三転しましたがようやく決まりました。

食質を改善し、無病で健康な生活を持続することの大切さを身をもって体験しています。生活習慣病を予防するための知恵を学びましょう。

# by fusus-21 | 2016-05-20 06:41 | ココノイエプロジェクト(食と健康)

行者ニンニクについて

北海道の友人から送っていただいた行者ニンニクを野草料理として調理するいくつかの方法を書いてみる。

単純な方法はそのまま味噌汁に入れて食すること。右上は細かく刻んだ茎をひき肉と炒めたものである。
行者ニンニクについて_d0282609_18275499.jpg
次に、ワイン醤油漬けにしたミジン切りの(腸に詰まらないように細かく切った)茎をチャーハンに入れて、調理した。癌患者でなければこれほど細かく刻む必要はない。大腸癌手術の後は、腸のつまりを低減するためにこのような配慮が必要になる。
行者ニンニクについて_d0282609_18323943.jpg
黒っぽい色の茎が、ワイン醤油漬けの行者ニンニクである。

# by fusus-21 | 2016-05-15 18:34

食質の改善について・・・日程と内容が変更になりました

FU-sus21 NPOが協賛して食の質を改善するプログラムに取り組む。癌にかかってからは、それまで考えもしなかった体質改善に取り組む、そして情報提供することに努力している。周辺の癌友からの情報や研究者の意見を参考に野草から作る酵素の大切さ、サプリメントとしてのキトサンや「冬虫夏草」の効用、発酵食品を作ることとその効果を自身で確認しようと努力する毎日である。多くの友人が協力してくれ、情報交換をしながらいいと思えることは発信してゆく所存である。ただ、体質によって効果は異なるので、実施するときは自分で体調を感じながら注意深くやってほしい。
当初、説明会を5月20日と情宣しておりましたが、5月30日に変更となりました。また、内容も下記の通り、一部変更されています。
食質の改善について・・・日程と内容が変更になりました_d0282609_16170847.jpeg

5月30日にイムズの8階で上記の初級カリキュラムの説明会が開催される。

野草についての他に、以後の講演で野草料理についても講演を計画している。


# by fusus-21 | 2016-05-15 18:04 | ココノイエプロジェクト(食と健康)

 日本の始まりを漢字で記述した中国正史の数々

三国志・魏志倭人伝は3世紀の晋の陳寿によってまとめられた倭国の状況を記述する正史である。後漢書と宋書のうち、5世紀にまとめられたものが范曄による後漢書、宋書,南斉書は6世紀頃に編修された。梁書、晋書は7世紀前半に完成した。さらに隋書は7世紀の日本の状況を詳細に伝えている。旧唐書は10世紀にまとまった。

これらの正史を付き合わせると、日本の始まりがかなり見えてくる(西暦50年くらいから西暦800年くらいまで)。特に宋書、隋書、旧唐書は価値が高そうである。後漢書には魏志倭人伝の情報をもとに、それ以降にわかった情報を加えたり修正を行っている。

委奴国から邪馬台国、さらに倭の5王、聖徳太子の遣隋使やその後の遣唐使について非常に詳細な記述があり、客観的に中国からみた日本が記録されているといえよう。中国から見ると日本は非常に大切な国であったようだ。インドから来た使者の方が遥かに遠い国から来ているのに、日本からの方が遠くから来たとしてより高く評価している。

日本の始まりを理解するには中国正史を上記の他に後の世に編纂された宋書(上記の宋書とは別の史書で新唐書というべきもの)、元史(元寇の経緯や元のフビライが日本についてどう考えていたかなどがわかる)などを読まなければならない。これらを付き合わせて、矛盾点や新しく加筆された点などを詳しく見て行けば歴史がさらに明確に描かれてゆく。原本を読み、変な先入観を持つ歴史家と違った目で歴史を見てゆく必要がある。

一方、日本には古事記や日本書記、万葉集、各地の風土記などが残されておりこれは伝承として、またそれを聞き及んでいた当時の人が歌に読み込んだりして作られており、大切な文化・歴史遺産であるとしなければならない。初めから事実でないとか、書き間違いなどと断定しては見誤ることになる。素直に読み解くことが大切で、後の世の研究者が言ったことを鵜呑みにしては矛盾が矛盾を生むことになりかねない。

今回榊原氏の講演会を聞いて、また著書を読んで、長沼氏と榊原氏の論議は類似点も多いが違う点も多々ある。いずれも優れた内容の力作である。榊原氏の著書、西海道歴史紀行を購入したので、これと長沼九大名誉教授の著書、邪馬台と太宰府の両著書を参考に日本開国から元寇までの歴史を探ってみたい。

倭奴(猪野)国王、卑弥呼、神武天皇、景行天皇、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、倭の五王と磐井、斉明天皇、天智天皇、天武天皇の時代が見えてくるかもしれない。まさに歴史紀行である。私の日本史の知識は、栄高校時代に大井先生から習った、元寇までで止まっている。転校によって、それ以降(応仁の乱以降)の歴史は習わぬままになってしまった。

# by fusus-21 | 2016-05-14 23:43 | 地域(北部九州の古代)

榊原英夫氏による魏志倭人伝と邪馬台国を受講して

榊原講師の説によると、邪馬台国は春日市を中心として福岡市博多区南部にあったとされた。この辺りが弥生遺跡が日本全国でみても圧倒的に多いからだとしている。また奴国は伊都国から日向峠を越えて吉武・高木遺跡、また野方遺跡付近にあったと比定された。また、奴は「の」と読むと自説を強調された。

私の説は、邪馬台国は上の説に近いが、邪馬台国連合がこの付近、つまり春日市を中心として筑後川北部の広域にまたがっており7万戸を養うには筑後川沿いの地域が最も可能性が高いと考えている。王都は甘木付近で、朝倉郡には実際に後の世の天皇が行宮を築いていることからも有力視している。また、奴国は、多々羅川の流域にあり、特に川の北側の地域に比定している。ここは宗像に近く、香椎宮という天皇が住まいした宮があるほか多々羅川の上流には今も猪野川という地名があることで有力と考えている。そこには天照神社もある。猪野は「イノ」と読み、金印にある、漢「委奴(いの)」国王と同じ発音で読めること(榊原説により、奴を「の」読むことにする)、また金印の出土した志賀島は昔の糟屋郡であり、猪野も糟屋郡であった。金武遺跡(吉武・高木遺跡)は室見川上流にあり、早良郡に位置している。この地(吉武・高木遺跡)には日本最古の王墓があり、紀元前に栄えた地域である。従って、伊都国とは非常に関連が深い地域ではあるが、志賀島との関連が難しい。
不弥国も宇美説と穂波説が分かれる。筑豊の穂波(ホナミ・・・これを短縮するとホミと発音が似ている)があるのは遠賀川の上流であり、このような大きな川の流域には大きな人口があったとみてよかろう。宇美には宇美川があるが遠賀川よりは少し小さい(2級河川)のが少し弱い。宇美は神功皇后が応神天皇をお産みになった地とされる。宇美(うみ)神社がある。

注:委奴は漢書では倭奴と書かれているそうである。委も、倭も「い」と読むことはここではっきりする。私の説では倭国は「イコク」とよみ、大倭は「タイイ・・・タイー」と読む。
邪馬壹国 「ヤマイッコク」から邪馬臺国「ヤマタイコク」に変遷、さらに旧唐書で「タイ国」になったこととも矛盾しないからである。

# by fusus-21 | 2016-05-12 22:31 | 地域(北部九州の古代)